日記の続き#212

酉の市の一の酉。家の前の通りが歩行者天国になって、韓国料理の屋台と焼きそばの屋台のあいだを抜けてアパートを出る。屋台よりもとからあるお店で買って何か食べようと言って、タイ料理屋のソーセージを買って食べる。レモングラスのような風味が付いていて、春雨のようなものが混ぜ込んである。熊手が三本締めとともに送り出されているのを眺める。商店街の韓国惣菜屋でキンパを、果物屋で串に刺さったパイナップルを買って家に帰った。窓を開けていると部屋が喧噪で満たされて祭りのなかにあるみたいだ。静かになったと思ったら鉄パイプの屋台群がいつのまにかなくなっている。もうこの街に住み始めて6年になる。特別横浜にいる理由もないのだがどうしてか動く気がしない。近所——それはおおよそ大通公園と伊勢佐木モールを長辺とする長方形と重なる——がほとんど庭か盆栽のように何か多元的な指標として僕の生活に張り付いている。

日記の続き#211

横浜市営地下鉄が見たことないくらい混んでいた。祝日だからだろうか。だとしてもこんなに混んでいるのは見たことがない。京浜東北線は踏切の非常ボタンが押されて10分ほど停止して、前に立ってつり革を持っている中年の男のTシャツがズレ上がってボクサーパンツが丸見えになっていた。パンツもズボンも迷彩柄で、隣に立っている男はスニーカーとリュックが迷彩柄だった。すり切れて白い生地が露出した合皮のスリングバッグ、ボタンを開けたチェックのコットンシャツ、「これは何色だ」と思われるのを避けるために選ばれたような濁った色のインナー。

ニコチンのガムを禁煙のためではなく煙草が吸えない場面をやり過ごすために噛むことを “unsmoking” と呼ぶことにした。

日記の続き#210

日記についての理論的考察§18
しばらく前から「他人の日記」という企画を考えていた。誰かに話を聞いてその人の日記を僕がここで書くという企画。きっかけはたんにもはや他人の日記を書いたほうが楽なのではないかと思ったということだ。裏を返せばどうして1年半ものあいだ自分のこと——それはいわゆる「自分語り」に収まるものでないにしても——ばかり書いているのかわからなくなったということでもあり、「出来事」として見れば僕のものも他人のものもないだろうということでもある。日記にとって「他人」とは何なのかということについては、僕が日記に書く他人や、あるいは日記掲示板に書いてくれる誰とも知らない他人との付き合い(?)のなかで折に触れて不思議に思ってきた。何か別の関わり方の回路がありそうだと。

やるならツイッターのスペース機能で、来てくれた人にその日のことについてインタビューして、それをもとに書くというやりかたがいいかなと思っていた。密室で秘密を託されても困るので——日記と秘密の関係については別の機会に考えよう——第三者が聞いている場所でやるほうがいいだろう。しかし昨夜、何時からスペースを開きますと言った直後にやっぱり他人の日記は書けないなと思ってスペースではどうして他人の日記が書けないのかということについて結局ひとりで1時間も喋った。これはなんだろう。どうしていつも自分の側に舞い戻ってくるのか。どうして出来事は私のものではないのに、それを書くとき私はひとりになるのか。

日記の続き#209

最近筋トレの情報をYouTubeで見ていて、ステロイド使用歴のあるひとの話は話半分に聞くようにしている——それにしても彼らには独特の哀愁がある——のだが、山本義徳は品があって見やすいのでよく見ている。痩せ気味でなかなか筋肉が付かないという質問に対して彼がそういう「外胚葉型」の人は日常の動作でカロリーをあまり消費しないほうがいいので、普段からちゃきちゃき動かずになるべくゆっくり動くようにするといいと言っていてそんな馬鹿なと思った。

1年くらい前に、日本の大学で博士を取った中国の映画研究者から『眼がスクリーンになるとき』を翻訳したいというメールが来て、僕はなんとも言えないからフィルムアート社に問い合わせてくれと言って、中国側の版元すら見つけていない状態だったので流れるのだろうなと思っていたら、フィルムアートから連絡があってこれこれの条件でよければ書類にサインして送ってほしいということだった。版元の出版ラインナップや中国の現代思想事情を調べたいのだが中国のインターネットがぜんぜんわからない。翻訳・版元の質が気になるような気もするし、どうでもいいような気もする。まあこれだけいろいろ頑張ってくれたのだから任せようと思う。

日記の続き#208

寒くなってきて食事による代謝の振れ幅が大きくなってきたのか、晩ご飯を食べたあとものすごく眠たくなって、寝て起きたら夜中の1時だった。夢を書き留めておきたいという気持ちと、もうちょっと寝ていたいという気持ちのあいだでうつらうつらしているうちに夢を忘れたが結局起きて煙草を吸った。誰かのためにその人の部屋を片付けるか何かしていて、曲線と穴を作ったらダメだと言われる夢だったと思う。その人は脳梗塞を患っていて、曲線を見るとそれがこちらにぶつかってくるように感じ、穴は黒い平面に見えるのだ。僕がそう言って誰かに片付けてもらっていたのかもしれない。湿気を含んだ空気が滑らかに感じられる秋らしい夜で、日記を書きたいような気がしたのだけど、どうもきっかけを掴めずにだらだらしてまた寝た。(2021年10月26日

日記の続き#207

岡山で観光。丸一日かけて岡山芸術交流の主要会場三つの展示と後楽園を見た。後楽園を囲む高梁川で妻と桃の形の足漕ぎボートにも乗った。岡山出身なのに岡山の街についてぜんぜん知らない。久しぶりに街で話される若者の岡山弁を聞くと、彼らはなかば関西弁っぽいイントネーションで話していて、これは千鳥のふたりの影響だろうと思った。つまり、千鳥が岡山弁のキツい部分をそぎ落として作ったミクスチャー的な言葉が「岡山弁」になってきている。みんな地方から出てきた大学生みたいな話し方だ。ここも地方なのに。僕はどうだったか? 僕は大阪に出てから、書き言葉で喋れるようになるまで4年間くらい黙っていた。

日記の続き#206

兄の結婚式で妻と岡山に行く。10年ぶりくらいにスーツを引っ張り出して着て、サイズがそのままでよかったのだが、革靴を履いて歩くと爪先がぴょこぴょこ動くのが奇妙に誇張されて気になった。結婚式はすぐ終わった。祭壇の脇で神主がずっと笙を吹いていて、笙が欲しくなった。呼気でも吸気でも鳴る笛は呪術的で怖い。

最近日記に書こうと思っていたことを書いているうちに忘れてそのまま投稿してしまい、あとから気づくということが多い。せっかく買ったニンジンを入れ忘れて豚汁を作るみたいに。この機にふたつほど卸しておく。一昨夜、カタルシスの岸辺が開催している「死蔵データGP」の採点が締め切りだったのをすっかり忘れていて、10個ほどの応募作の採点とコメントを書いた。行き場のないデータを見て書いているうちに不思議と自分なりの評価基準が明確になってきて、久しぶりに批評家らしいことをしたなと思った。とくに気に入っているのは「死蔵」と「思い出」は違う、思い出は大切にしてほしいので低い点数にする、という評価。

先日梅ヶ丘に行ったとき曽根さんと大和田さんを待つあいだ駅の周りを歩いていて、「武蔵野レジデンス」というアパートの隣に「ふじみ野シャーメゾン」というアパートがあって、ここは「どっち野」なのかと思った。

日記の続き#205

これから書きたいなと思っている「パフォーマティブ理性批判——理論の突き指」と「日記と理論——文学機械論」というふたつの大きめの文章があるとツイートしたら文芸誌の編集者から連絡があって、電話で連載の相談をした。どっちでもいいみたいなので前者で進めたいという話をした。昨年末の美術批評座談会で僕が話した「置き配的なもの」の話にもとから興味をもってくれていた編集者で、それについても書く書くと言いながら先延ばしになっていたしテーマの繋がりもあるので、連載のなかに置き配論も組み込むことになるだろう。まだ決まったわけではないが来年春か夏くらいから1年くらいで書けるといいなと思う。「日記と理論」のほうはこのサイトで書いたほうがいい気もするし、まだ妄想として遊ばせておいてほうがいい気もする。

みなとみらいに髪を切りにいって、オイルとか付けてますかと聞かれたので、お風呂上がりに付けていますと言うと、最近はスタイリング用のやつもあるんですと言われて、ワックスみたいな不快感もないし金木犀みたいないい匂いだったので買って帰った。ネットで見るとAmazonのほうが1000円も高く売っていた。

日記の続き#204

いろいろあった日。大和田俊と遊ぶことになって、合流の連絡をしていると彼とバンドをやっている曽根裕さんが僕が読む詩の朗読を録音させてほしいと言っているということで、世田谷の梅ヶ丘という駅まで行った。駅で合流したふたりはギター2本と大きいスーツケースを2個持っていて、スタジオに入って荷物を置いてから大和田さんと近くのマックに行って昼ご飯を買って戻って食べた。曽根さんと会うのは2年前に高松にある彼の石彫の拠点で、焚き火の明かりを頼りにレクチャーをしたとき以来だ。バンドの練習のついでに朗読だけ録音するのかと思っていたら、ふたりの演奏と一緒に朗読してそれを一発録りするということだった。楽器をセットしているあいだに曽根さんの「石器時代最後の夜」という詩をいちど通して読んで、みんなで煙草休憩をして、曽根さんがノイズギターの演奏を始めて大和田さんがパソコンから電子音を鳴らしてしばらくして僕に合図をして、長めの詩を朗読した。いいのが録れたということで、結局それがなんになるのかわからなかったのだが、たぶん誰もわかっていないし、やりながら考えるのだろう。やってみてどうだったかと聞かれたのでそれぞれ勝手にやっているのに不思議と一緒にやっている感じがちゃんとあって楽しかったと言った。ふたりが楽器で遊んでいるのを聞いていると知らないおじさんがスタジオに入ってきて、いきなり照明を消して手に持っている板状のライトで曽根さんを照らしながら反対の手に持ったiPhoneで動画を撮り始めたので、本当にわけのわからない人たちだなと思ったが、後から聞くと彼は曽根さんの中学の同級生で、昨日買ったキャンプ用のライトを使ってみたかったらしい。

帰り道、HATE IS NOT CULTURE AND I HATE CULTUREという言葉を思い浮かんで頭のなかで繰り返していた。

日記の続き#203

京都駅から立命館に向かうバスに乗る。席が空いておらず立って入口の近くの柱につかまっていると、そこに取り付けられている消毒液のポンプににゅっと手が伸びてきて、向かいの席のおばさんが手を洗った。彼女はもとから座っているわけだからいきなり消毒するのは変だし、すぐ下にある僕の手に霧がかかるのもわかるだろうし、僕がコーヒーを手に持ってときおりそれを飲んでいることに対する当てつけなのだろうかと思った。二人席にひとりで座ってスマホをいじっているそのおばさんを眺めていると、ときおり紳士が帽子を取るようにバスが左側のサスペンションを緩めて客を乗せた。

胸郭・胸椎のストレッチを調べていると、仰向けに寝転がって肋骨を内側からつかんで外に開きながら深呼吸をするというのがあって、そんな馬鹿なと思ったがやってみるとたしかに、息を吐くたびに萎もうとする胸を押しとどめることで自然と開いていく感じがあった。