1月2日

この日記のエディタを開くたびに、また手ぶらで来てしまったと思う。これはそれでいいんだと自分を納得させながら昨日のことを思い出したり、溜めているメモを見たりする。それでも今日は何も思いつかないので、せっかく正月だし今年の抱負でも書いておこう。

今年で30歳になる。それも現実味がないけど、1992年に自分がすでに生まれていたということのほうが奇妙な感じがする。もう膝くらいまで歴史に埋まっているのだ。去年はこの日記と、中くらいの文章四つが主だった仕事で、やってるんだかやってないんだか、一昨年の後半に博論を書いたときの強度(恐怖)に比べれば良くも悪くものんびりした年だった。この日記で生まれて初めて自分は何かをコツコツ続けることができる人間なのだと知って、それは嬉しかったので、今年はそれがもっと大きな仕事に繋がるようにしたい。博論本と、今まで書いたものを集めた本と、「いてもいなくてもよくなること」本と、共訳書と、あとこの日記をもとに何か本を作る企画があるので、どれがいつ出るかはわからないけど、毎日コツコツやっていきたい。

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1月1日

年が明けた。プツプツという音が聞こえて、窓から首を伸ばすとビルの隙間から海のほうで花火が上がっているのが見えた。出版社から年賀状が3枚。こういうのが業務になっているんだと思う。あけましておめでとう。同じ年を越して、同じ新しい年を迎える。あけましておめでとう。僕はコーヒーの飲み過ぎでちょっと胃が気持ち悪いです。去年から始めたこの日記も、もう少しで終わります。背中にこわばりがあるなと思ったら、すっかりストレッチをサボっているからで、それはたんに寒くなってスリッパを脱ぐのが嫌だからだということに気がついて愕然としました。気軽にできることほど気軽にやめてしまいます。そうして日々にわざとらしく凹凸を増やしていくんだと思うとうんざりします。

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12月31日

座談会の後編が夜に公開された。5年10年スパンで大事なことがいろいろ話せたと思うのだけど、大晦日の夜に読んでくれる人も少ないだろうし、また日を置いて宣伝したい。昼からずっと配信チケットを買ったRIZINを見ていて、普段格闘技を見ない彼女も結局最後まで真剣に見ていた。そういえば菊地成孔は『あなたの前の彼女だって、むかしはヒョードルだのミルコだの言っていた筈だ』というゼロ年代のK-1、PRIDEを論じた本を出していたけど、読んでみたら面白いかもしれない。実家では大晦日に格闘技を見る習慣がなかったのでその頃のことについてはアンディ・フグの踵落としとか、ボブ・サップと曙の凡戦とか、断片的な醒めた記憶しかない。さらにそういえば、アンディ・フグが白血病で亡くなったというニュースを聞いたとき、確か新聞を読んだ父がその話をしたのだが、藁がいっぱいに敷かれた馬小屋の写真が新聞に載っていて、白血病になると馬小屋で死ぬんだと思った。没年を確認すると僕が8歳のときだ。藁の上で悶え苦しむアンディ・フグのイメージと白血病という言葉の繋がりが解除されたのはたぶん、『世界の中心で愛を叫ぶ』が流行った、僕が中学に上がった頃くらいだと思う。

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12月30日

座談会の校正をして、前編が夜に公開された。後編は31日の今夜公開される予定。12月に入ったときは仕事もぜんぜんなくて、年末年始を締め切りに追われずに過ごすのなんて4年ぶりくらいじゃないかと思っていたら、座談会が入り、コンサートのレビューが入った。断ってもよいのだけどどちらもやったことのない仕事だったので受けることにした。とくにコンサートのほうは僕の美術批評を読んで頼んでくれたということだったし、そういうジャンルをまたいだ繋がりは大事にしたかった。

おせちを食べる習慣はないが、スーパーも閉まるしある程度日持ちのするものをたくさん作っておいたほうがいいような気がしてローストビーフと筑前煮を作った。

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12月29日

昨日に引き続き西早稲田にコンサートを聴きに行った。今日は本番で、やはりお客さんと一緒に聴くと雰囲気が違った。演劇的な要素が組み込まれた公演で、チューバ奏者の坂本光太と演出家の和田ながらの共同制作で、坂本と俳優の長洲仁美によってそれぞれ15分ほどの作品が6つ演奏/上演される。パフォーマンス作品を生で見るのはとても久しぶりだった。それにしてもいつも気になるのだけど、実験的な演劇特有のクスクス笑いって何なのだろう。客席の数人がときおりクスっと笑っている。呼吸と楽音の関係をテーマにした作品を前にして、その鼻腔5センチ分みたいな笑いは何なのか、もっと真面目に聴けと思った。謎のクスクス笑いとフライヤーの束と、客電が灯って醒めた意識に流し込まれるアフタートークがなければ演劇はもっと良くなると思う。

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12月28日

現代音楽のコンサートのレビューを頼まれて、初めて書くジャンルだし一回しか公演がなくて不安なので通しのリハーサルも聴かせてもらうことにした。早めに家を出て高田馬場の喫茶店で作業をして、西早稲田の会場まで歩く。久しぶりに東京の知らない街を歩いていると、岡山から大阪に出てきたときの気分が街にかぶさるようだった。それがよくなかったのかもしれない。呼んだら面白いんじゃないかと思った大和田俊と会場で合流して、演奏を聴いて、また高田馬場に戻っておでんを食べながら感想を話した。別れたのが11時で、山手線から京浜東北線に乗るはずなのだが、巣鴨駅についたあたりで何かおかしいなと思ったら逆向きの電車に乗っていた。反対の電車に乗っていると大崎で回送に切り替わって降ろされて、そこでやっと完全に手詰まりになっていることに気がついた。とりあえず横浜駅まで行ってそこからタクシーで帰ることすらもうできない。コロナ禍で電車に乗るのがすごく下手になったのもあると思う。人が周りにたくさんいると、なんだか群れの動物としての無意識が靄のように立ち込めるようで、気づいたら乗り過ごしたり、見当違いの電車に乗ったりしている。群れだと思っていた集まりはそれぞれ別の家路につく個人で、大崎で放り出されてやっとそのことに思い当たる。とりあえず大崎はあまりに何もないと思って来た電車に乗ったら東京駅方面に向かっていて、そんなところまで行くと帰るのがめんどくさいなと思って適当に降りるともっと何もない田町だった。どうかしてると思いながら目抜き通りらしきところを歩きながら目についたビジネスホテルに予約してないんですけどと飛び込んで、一睡もできず始発で横浜に帰ってきて寝て、ゆっくり風呂に入って、今日記を書いている。もう準備して本番を聴きに行かなきゃいけない。

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12月27日

洗濯物を回して、干しっぱなしになっていたものと、それを干したときに畳まずにまとめて置いただけになってしまっていたものを畳んだ。大変な量でそういうバイトかと思った。洗い終わったものを干してメールを返したりしていると今度は注文していた大きい本棚が届いて、箱を部屋に運んで周りを片付けて作業スペースを確保して梱包を解いた。段ボールは畳んで、ビニール類はまとめて、床の上で組み立てる。今度は今ある本棚のひとつを空にして、片方の足の下にタオルを挟んで引っ張って邪魔にならないところに退避させた。新しいのは2メートル以上あって大変なので設置するのは彼女が帰ってきてからにしようと炊飯器をセットして一息ついて、和風チンジャオロースと味噌汁を作って彼女と食べた。手伝ってもらって本棚を起こして設置場所まで運んで、大雑把にそれぞれの棚のジャンルを再編しつつ本を詰めた。翌朝が段ボールを捨てる年内最後の日なので本棚の箱と、台所の隅に乱雑に積み上げていた箱を潰して括った。ぜんぜん外出しなかったが一日中物を相手にした作業をしていて気持ちよかったし、部屋もすっきりした。

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12月26日

みなとみらいに髪を切りに行った。桜木町の地下から出るともう外は暗くて、ランドマークタワーにつながる長い歩道には海風が吹き付けていてとても寒かった。時間があったのでタリーズでキャラメルラテを飲んで、外の喫煙所に行った。湾に沿う街路樹には電飾がつけられていて、観覧車は刻々と変わる幾何学的な模様を映し出している。ニューヨークの湾岸にも遊園地があったはずだとか思いながら、柱が傾く扇風機のような乗り物から聞こえてくる叫び声を聞いていた。そういう空疎でピカピカとした、しかし途方もない土木のうえに成り立っている街を眺めていると、海を埋めたり人を振り回して叫ばせたりするのに比べてどれだけ書いても1メガバイトにも満たないような自分の仕事がとても心許ないものに思えてきた。日記の公開ボタンを押して、できあがった記事を確認するときも似たような気持ちになる。一日が発光するディスプレイを滑る厚みのない文字になってしまう。

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12月25日

昼はエリンギと春菊とウィンナーで、ちょっと醤油を入れたオイルパスタを作って、夜は鴨を焼いてオレンジソースを作って、クレソンや春菊の入ったサラダに乗せて食べた。鴨と春菊は合う。火入れの調節を魚焼きグリルでやってみた。電子レンジにオーブン機能が付いているが、なんだかそれは信用ならない。フライパンで焼いてホイルに包んで休ませた肉を、芯温を測ってグリルして休ませてを2周してやっと大丈夫そうな温度になった。こういう間延びする料理は他の作業の進行との兼ね合いや、そもそも食事のタイミングを計りかねるのであまり好きじゃない。麻婆豆腐とはぜんぜん違う。麻婆豆腐を作るときは、豆腐を茹で具材を切り香辛料と調味料をすぐ鍋に放り込める状態にして揃え、あとはそれを炒めるだけなので、手数は多いが各ステップにかかる時間は逆算しやすい。鴨のローストは反対に手数は少ないが逆算しにくい。火入れを待つサラダとソースがだんだんみすぼらしく見えてきて、俺は何をしているんだろうという気分になってくる。

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12月24日

大戸屋でカキフライを食べて、夕方のイセザキモールを歩いていると、前を歩いていたおじいさんが転んだ。それはつまずいたとか、めまいがして膝から崩れたとかそういう感じではなく、本来であれば「遊び」として処理されるような微細なズレが適切にフィードバックされず、本人もいつから転び始めたのかわからず、気づいたら手に負えなくなっていた不均衡に静かに降参するように尻もちをついていた。座り込んでいる彼の正面にしゃがんで大丈夫ですかと聞くと、二度目に彼は頷いた。目を覗き込むと焦点は定まっていて、ちゃんと力がある。顔色も悪くないし、デニムジャケットにセーターにニット帽をかぶっていて、それは自分で選んだ服に見えたし、まあ大丈夫だろうと思った。彼の表情に僕に対するかすかな怯えが浮かび上がってきた。いつの間にか転んでいて男に話しかけられている。もういちど聞くと強く頷くので、立たせるのはやりすぎだと思ったのか、彼のまなざしにいたたまれなくなったのか、立ち去ることにした。

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