日記の続き#147

八月の30年——30歳

今日で終わり。ひと月かけてこれまでの30年間を振り返ってみて、というか、ひと月ぶんの日々で30年を切り刻んでみて思うのは、自分の来し方の線形性を支えている記憶はとてもみすぼらしいものだということだ。それは本来の記憶の豊かさを示しているというより、どこで生まれてどの学校に通ってどれくらい勉強ができてどういう恋愛をして、という言葉で今の自分を持ちこたえさせるこができるということのほうがマジカルに思えてくる。これも考えてみれば当たり前の話なのだが、「出身」やら「受験勉強」やら、同じカテゴリーのもとで多くの人にそれぞれ特有の記憶があるものは、自分を語るということにまつわる厄介さをいくつもスキップさせてくれる。僕は今回そういうものになるべく寄りかからないようにしたが、そんな心許ないものに寄りかかっていても普段の生活にはまったく支障がないということのほうが驚きだ。こないだ東村山市にある国立ハンセン病資料館に「生活のデザイン」という企画展を見に行った。麻痺した、あるいは断端した手足に取り付ける義足や手全体で握り込めるように柄を太くしたフォーク、電話機の奇数のボタンにだけサイコロ大の木片を貼り付け、棒で押しやすくしたものといったブリコラージュ的に編み出された個人的な道具と、専門家と対話を重ねるなかで洗練されていった道具とが「歴史」、「デザイン」という言葉のもとにリニアに並んでいる。このときも歴史と言えば、デザインと言えばこれらを並べてしまえるのだということに強い戸惑いを感じた。学芸員によるギャラリートークでも「両義性」という言葉がたくさん出てきた。困っていると言ったうえでできればよいのだろうけど、なかなかそうもいかない。