日記の続き#207

岡山で観光。丸一日かけて岡山芸術交流の主要会場三つの展示と後楽園を見た。後楽園を囲む高梁川で妻と桃の形の足漕ぎボートにも乗った。岡山出身なのに岡山の街についてぜんぜん知らない。久しぶりに街で話される若者の岡山弁を聞くと、彼らはなかば関西弁っぽいイントネーションで話していて、これは千鳥のふたりの影響だろうと思った。つまり、千鳥が岡山弁のキツい部分をそぎ落として作ったミクスチャー的な言葉が「岡山弁」になってきている。みんな地方から出てきた大学生みたいな話し方だ。ここも地方なのに。僕はどうだったか? 僕は大阪に出てから、書き言葉で喋れるようになるまで4年間くらい黙っていた。

日記の続き#206

兄の結婚式で妻と岡山に行く。10年ぶりくらいにスーツを引っ張り出して着て、サイズがそのままでよかったのだが、革靴を履いて歩くと爪先がぴょこぴょこ動くのが奇妙に誇張されて気になった。結婚式はすぐ終わった。祭壇の脇で神主がずっと笙を吹いていて、笙が欲しくなった。呼気でも吸気でも鳴る笛は呪術的で怖い。

最近日記に書こうと思っていたことを書いているうちに忘れてそのまま投稿してしまい、あとから気づくということが多い。せっかく買ったニンジンを入れ忘れて豚汁を作るみたいに。この機にふたつほど卸しておく。一昨夜、カタルシスの岸辺が開催している「死蔵データGP」の採点が締め切りだったのをすっかり忘れていて、10個ほどの応募作の採点とコメントを書いた。行き場のないデータを見て書いているうちに不思議と自分なりの評価基準が明確になってきて、久しぶりに批評家らしいことをしたなと思った。とくに気に入っているのは「死蔵」と「思い出」は違う、思い出は大切にしてほしいので低い点数にする、という評価。

先日梅ヶ丘に行ったとき曽根さんと大和田さんを待つあいだ駅の周りを歩いていて、「武蔵野レジデンス」というアパートの隣に「ふじみ野シャーメゾン」というアパートがあって、ここは「どっち野」なのかと思った。

日記の続き#205

これから書きたいなと思っている「パフォーマティブ理性批判——理論の突き指」と「日記と理論——文学機械論」というふたつの大きめの文章があるとツイートしたら文芸誌の編集者から連絡があって、電話で連載の相談をした。どっちでもいいみたいなので前者で進めたいという話をした。昨年末の美術批評座談会で僕が話した「置き配的なもの」の話にもとから興味をもってくれていた編集者で、それについても書く書くと言いながら先延ばしになっていたしテーマの繋がりもあるので、連載のなかに置き配論も組み込むことになるだろう。まだ決まったわけではないが来年春か夏くらいから1年くらいで書けるといいなと思う。「日記と理論」のほうはこのサイトで書いたほうがいい気もするし、まだ妄想として遊ばせておいてほうがいい気もする。

みなとみらいに髪を切りにいって、オイルとか付けてますかと聞かれたので、お風呂上がりに付けていますと言うと、最近はスタイリング用のやつもあるんですと言われて、ワックスみたいな不快感もないし金木犀みたいないい匂いだったので買って帰った。ネットで見るとAmazonのほうが1000円も高く売っていた。

日記の続き#204

いろいろあった日。大和田俊と遊ぶことになって、合流の連絡をしていると彼とバンドをやっている曽根裕さんが僕が読む詩の朗読を録音させてほしいと言っているということで、世田谷の梅ヶ丘という駅まで行った。駅で合流したふたりはギター2本と大きいスーツケースを2個持っていて、スタジオに入って荷物を置いてから大和田さんと近くのマックに行って昼ご飯を買って戻って食べた。曽根さんと会うのは2年前に高松にある彼の石彫の拠点で、焚き火の明かりを頼りにレクチャーをしたとき以来だ。バンドの練習のついでに朗読だけ録音するのかと思っていたら、ふたりの演奏と一緒に朗読してそれを一発録りするということだった。楽器をセットしているあいだに曽根さんの「石器時代最後の夜」という詩をいちど通して読んで、みんなで煙草休憩をして、曽根さんがノイズギターの演奏を始めて大和田さんがパソコンから電子音を鳴らしてしばらくして僕に合図をして、長めの詩を朗読した。いいのが録れたということで、結局それがなんになるのかわからなかったのだが、たぶん誰もわかっていないし、やりながら考えるのだろう。やってみてどうだったかと聞かれたのでそれぞれ勝手にやっているのに不思議と一緒にやっている感じがちゃんとあって楽しかったと言った。ふたりが楽器で遊んでいるのを聞いていると知らないおじさんがスタジオに入ってきて、いきなり照明を消して手に持っている板状のライトで曽根さんを照らしながら反対の手に持ったiPhoneで動画を撮り始めたので、本当にわけのわからない人たちだなと思ったが、後から聞くと彼は曽根さんの中学の同級生で、昨日買ったキャンプ用のライトを使ってみたかったらしい。

帰り道、HATE IS NOT CULTURE AND I HATE CULTUREという言葉を思い浮かんで頭のなかで繰り返していた。

日記の続き#203

京都駅から立命館に向かうバスに乗る。席が空いておらず立って入口の近くの柱につかまっていると、そこに取り付けられている消毒液のポンプににゅっと手が伸びてきて、向かいの席のおばさんが手を洗った。彼女はもとから座っているわけだからいきなり消毒するのは変だし、すぐ下にある僕の手に霧がかかるのもわかるだろうし、僕がコーヒーを手に持ってときおりそれを飲んでいることに対する当てつけなのだろうかと思った。二人席にひとりで座ってスマホをいじっているそのおばさんを眺めていると、ときおり紳士が帽子を取るようにバスが左側のサスペンションを緩めて客を乗せた。

胸郭・胸椎のストレッチを調べていると、仰向けに寝転がって肋骨を内側からつかんで外に開きながら深呼吸をするというのがあって、そんな馬鹿なと思ったがやってみるとたしかに、息を吐くたびに萎もうとする胸を押しとどめることで自然と開いていく感じがあった。

日記の続き#202

毎週水曜は京都の日。起きてコーヒーを入れて、飲み終わる前に家を出る時間になって半分くらい捨ててしまう。先週もこうだった。たぶん先々週も。なんとかしてコーヒーは飲みたいので新横浜のスタバで飲み物を買う。スタバのコーヒーはおいしくないという思い込みもあってトリプルエスプレッソラテを頼み、それを片手に持って改札のなかの喫煙所に入るのだが、長居されないように水平の台がまったくないので、煙草を取り出すためにカップをいちど床に置いたりしないといけない。これも先週も、先々週もそうだった。ただ今週は普通のドリップコーヒーにして、やっぱりまあまあだけどやっぱりコーヒーのほうが落ち着く。それで、席に座って、ひとりしか入れない喫煙ブースにいくタイミングを伺うのが億劫なのでニコチンのガムを噛んでいる。コーヒーと煙草は僕をいつも少しの難民状態にするが、僕はそれが好きなのだと思う。落ち着き始めるとどこまでも落ち着いてしまうタチだからかもしれない。

昨夜、いつも歩かない道を歩いて帰っていると、「乳井 NYUI」と書いた表札があった。

日記の続き#201

道ばたに田原俊彦の写真に「ロマンスでいいじゃない」と書かれたコンサートのポスターがあって、その底抜けのエンターテイメントに励まされるような気持ちになった。こないだもトークの前に、ロバート秋山が博多のクリスマスマーケットの営業で「都か区か」を歌っているのを見て元気を出した。地方の、客席もなく出店に囲まれた舞台で屈託なくパフォーマンスをしていてこういう人は本当に偉いなと思った。

アークティック・モンキーズの新しいアルバムが出てここ数日聴いている。ファーストアルバムは2006年で、僕が14歳のときだ。ロックで言えばニルヴァーナ、ソニック・ユース、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドと時代を急降下するなかにあって、アークティック・モンキーズは唯一と言っていいくらい、この若さは僕の若さでもあると思えた、それから一緒に歳を取っている感じがするバンドかもしれない。アレックス・ターナーが長髪になったくらいからアルバム2枚ぶんくらい聴かなくなっていたが、今回のアルバムはほとんどナショナルズやアラバマ・シェイクスみたいなしっとりした曲ばかりで、本当に大人になってしまったんだと思って、ファーストアルバムのA Certain Romanceを1曲リピートで聴き返しながら帰った。

日記の続き#200

アパートの向かいのまいばすけっとに煙草を買いに行って、ハイライトメンソールと言うと、年齢確認できるものはありますかと聞かれて、いや、いま携帯しか持っていないんでと言うと、年齢確認できるものがないとお出しできませんと言われ、でも僕ここで毎日のように買ってるんですけどと言うと、でも年齢確認できないと、と言われ、そうですかと言って出て行った。「僕は平成4年6月4日生まれです。何歳かパッと言えますか。29歳です。僕は29歳なんですよ。29歳の人に免許証を出せと言うのはあまりに馬鹿げていませんか」とか「僕はそこのアパートに住んでるんです。財布を取りに行くのに3分もかかりません。こんな嘘をついてもしょうがない。それで僕が取って戻ってきて、確認して買っても、誰もいい思いはしません。僕は面倒だし、あなたも一度聞いてしまって引くに引けなくなってるだけでしょう」とか言葉が湧いてくる。財布を手に戻るとその人がああ取ってきてくださったんですね、たいへん申し訳ございませんでした、平成4年ですね、申し訳ございませんとしきりに謝っていて、やっぱり誰もいい思いをしないんだと思った。しかし彼女も、いくら顔半分がマスクで隠れていて平日の昼間から部屋着で煙草を買いにくる若者が珍しいからと言って、本当に僕が未成年だと思ったわけでもないだろう。それは口を突いて出たのだ。法が喋る。法の前では説得も謝罪もあまりに虚しい。その虚しさがまた虚しい言葉を呼ぶ。そうしてひとは傷つく。そういう順番だ。(2021年11月8日

日記の続き#199

こないだフクロウを連れたおじさんが座っていたベンチで、今日は80歳くらいのおじいさんとその娘らしき人がいて、おじいさんが煙草を咥えたまま娘をマッサージしていた。肩、背中、首、それから頭まで慣れた手つきで指圧したり叩いたりしていて、それが仕事だったのだろうと思った。

春菊がたくさん余っていたので、牡蠣と生クリームを買ってパスタを作った。塩水で洗って小麦粉をまぶした牡蠣をバターで焼いてバットに出しておいて、フライパンにバターを足して生クリームを入れてひと煮立ちしたら春菊を入れて、牛乳でとろみを調節して、塩と胡椒で調味して、茹で上がった麺と牡蠣と合わせる。美味しかった。

日記の続き#198

京橋のギャラリーでトークの日。昼過ぎに日本橋まで出て、あらかじめ調べておいた高島屋のメガネ屋でメガネを買った。すぐ持って帰れるものだと思ったら、2−3週間後にデンマークから届くらしい。建設中の戸田建設の新社屋の隣にある小さな建物のなかにギャラリーがあって、今回の佐々木香輔さんの展示は新社屋で本格的に始まるらしいアート事業の一環として作られた賞の受賞者としての個展で、そこに僕が対談相手として呼ばれた。ギャラリーに入るとマスクをした人から次々と名刺を渡されて、顔と照合できないので純粋名刺だなと思った。初対面の人との対談は久しぶりで、やはり「理論的解説」を求められたときにどこまで「身売り」するかが難しい判断だなと思い、正直にそういう話をしたうえで話せたのでよかった。こちらは作家本人としてはトリビアルなものだと思っている技術的な工夫やトラブルから話を広げたいし、あちらはすでに出来上がったものに対する、僕としてはまったく頭を使わなくてもできる言説的な拡張を求めているわけで、いままでそういうすれ違いに対してその場で明示的に投げかけるということをしてこなかったのだが、変なサービス精神を発揮して後で悶々とするくらいならその場で言ったほうがいいのだ。写真展ということもあるからか、普段僕が接するの現代美術の人とは微妙に客層が違っている感じがして、なんだか可能世界に紛れ込んだみたいで、自分がどういう「含み」の共有された世界に生きているか確認できたのもよかった。打ち上げに来た佐々木さんの友達が面白い人で、分厚いノートにトークのメモを縦書きでバラバラと書いていて、その席で僕がAdobeソフトの歴史的研究が必要だと思うという話をしているとページの真ん中に縦書きで「Adobe一揆」と書いていて、ノートの使い方として参考になった。