11月10日

井上拓真と那須川天心の試合に向けたドキュメンタリーをYouTubeで見る。拓真は良くも悪くも、井上尚弥との距離を愚直に生きていて、その弱さも隠していない。それに対して天心は、冒頭からジムのベランダで手にトンボが止まって、「最近虫が警戒しないんすよ」と言っており、作ろうとしている世界のスケールが違うなと思った。会見でもこれはボクシングそのものとの闘いなのだと言っていた。こんなスポーツの頂点で、キックボクシング時代から全53戦無敗というキャリアを賭けて、それでもこうしてプロレスができるなんてと驚愕する。でもたぶんそれは、それが拓真の弱みであることも折り込んだうえでなされているのだろう。

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11月9日

『非美学』の短縮版を出してほしいというツイートに引用で、当分そのつもりはないが、『置き配的』は『非美学』を圧縮・変換したものという側面もあるし、そういうところから読めるようになるほうが楽しいと思うと返した。そこから考えがつながっていくつかつぶやく。そもそもたとえば郵便本もリアルタイムでどれだけ理解されていたかは難しいところで、その後の東の著作に触れることでイメージが共有されているのではないか。そういう多面的で遡行的な理解が作られていくことがいろんな本を書く意味だと思う。『非美学』が難しいから『非美学』を易しくするというのは、僕がいまの10倍くらい有名になれば売れるのかもしれないが、そうでなければそもそも売れないし、たんなるマッチポンプだ。そこから連想して、「理解」というものはわかった!という瞬間的な、頭のなかで起こることだという想定を解体したウィトゲンシュタインの議論はいまこそ重要なのではないかとつぶやいた。言葉や行為として外在化したものが承認されて事後的に「理解したことになる」だけだ。もっと言えば理解してからでないと使えないというのは幻想で、使ってしまえば理解したことになる。煎じ詰めれば『非美学』もそういうことを言っている本なのだが、ウィトゲンシュタインに引っかかってしまうのは、使用が理解を生むということを本当の理解など存在しないという懐疑論的な方向にもっていくことだ。理解の絶対的尺度は存在しないというところで止まってしまうのではなく、別の使用を生む使用がよい理解なのだとすればいい。

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11月8日

フィロショピーのエッセイ講座で、20人の受講生を3-4人ずつに分けてzoomでグループ面談を実施している。いま全5回の講座の3回が終わったところで、最終的に2000−4000字のエッセイを書くのがゴールなのだが、それに向けた課題として最終課題で書くトピック(メインの出来事)とテーマ(そこから考えたこと)の組み合わせを3つ提出してもらっており、それをもとにひとり20-30分ずつヒアリングをする。

まず3つのうちの現段階での優先順位を聞き、決まっていない場合は説明を聞きながら方向性を提案し、それをどう展開するか、どこで安易なそれっぽさに寄りかかってしまいそうか、出来事の特異性と問いの一般性が相殺してしまわないか話しながら考える。こう書くと硬い感じがするが、むしろ書くのを楽にするものになったと思う。スポーツで脱力するのがいちばん難しいのと同じことだ。我ながらこういうのを教えること、その枠組みを考えることはかなり得意なほうなんじゃないかと思う。

最後にそれぞれなぜこの講座を受講したか、どういうかたちで文章を書いていくつもりか質問する。とくに発表するつもりはないが、繰り返し思い出してしまうことをかたちにしながら考えるために書くひと、400−800字程度の日記と2000字というスケールのあいだに壁を感じて受講したひと、そういう話を聴いていて、文章を書くということが生きることに直結しているのは僕よりむしろ彼らのほうなのではないかと思った。どのエッセイもとてもいいものになりそうで楽しみだ。

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11月6日

来月出る『群像』に載る『置き配的』の紹介記事を書いていて、ここ数日生活が乱れていた。原稿自体は2000字の短いものなのだが、なんだか気張ってしまっていて、締め切りの前日にようやく、まだ本を読んでいないひとのための文章だから、『置き配的』の「先」に行く必要はないのだと思って、やっと書けるようになった。

シットとシッポの収録後、渋谷駅で降ろしてもらってから携帯がないことに気がついて、駅ビルのカフェに入ってWi-Fiに繋いだPCから荘子くんに連絡した。やはり車に忘れていたようで、荘子家がご飯を食べている店に取りに行く。財布をなくしたときはむしろ清々しかったが、携帯をなくすとパニックになる。PCでGoogleマップを確認して、駅ビルを出て田園都市線の入口を探し、現金で切符を買い、三軒茶屋から世田谷線に乗り換えて、X駅で降りて店に向かう。それだけのことがとても不安だった。この道で合っているのだろうかと不安に思いながら歩いて見つけた店に入ると、小百合さんの同僚も集まった飲み会で、お邪魔させてもらう。2歳の子供とも遊べた。

数日前に2日続けて走ってから右足の裏が痛くて情けない。

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10月31日

作り置きしているパンチェッタで簡単にパスタでも作ろうと思ったのだが、ほかの食材がぜんぜんなく、かといってチーズを削って胡椒をかけただけのカチョエペペのような塩味が強いものを食べる気にもならず、こないだハヤシライスを作ったときに余っていたトマトジュースでアラビアータ、というか、コンポモドーロ、というか、トマトソースのパスタを作った。

パンチェッタを刻んで弱火でゆっくり炒って脂を引き出す。焦げる手前で肉だけ取り出して、刻んだにんにくと唐辛子を加える。ニンニクに火が入ったところでアンチョビをひと切れ加える。豚とトマトだけでは味がもったりするので、これで奥行きを出す。アンチョビが自然にほぐれたらトマトジュースを気持ち少なめに入れ、パンチェッタを戻してちょっと煮詰めたら茹で上がった麺と和える。ばっちりおいしい。

トマト缶というものは、妻とふたりぶんのパスタを作っても半端に残るものだし、いちど開けたら日持ちもしないので持て余してしまいがちだが、ジュースなら余ったものはそのまま飲めばいいし、味もタイトな感じがするし、パスタに入れるトマトはフレッシュかジュースかの二択でよいのではないかと思う。カチャトラとかそういう料理ならまだしも。

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10月30日

有隣堂でボールペンを選んでいると、おばちゃんがレジの店員に「これのシャボン玉色ある?」と聞いていた。

ソフトバンクが勝って日本シリーズが終わって、妻が残念がっていた。

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10月29日

『置き配的』の告知をするまで、そして告知をしてからしばらくは気持ちがざわざわしていたが、いまは落ち着いた。

シットとシッポの収録で外苑前に向かう。銀座線に乗っていると隣に立ったおばあさんのスマホが見えて、LINEで「ちょっと込み入っているから」、「でも無いか」、「うーん」、「この気持ちはラインでは伝わらない」と書いていた。「無い」が漢字なのと、「ライン」がカタカナなのが気になった。そのことと、返答を待たずに間投詞で区切ってチャットを投げる今っぽさと、フリック入力の素早さとが共存している。現実は情報量が多くてよい。

夜、妻が作ってくれた参鶏湯をテーブルに準備してテレビをつけると、日本シリーズの阪神対ソフトバンクがやっていた。最近YouTubeで野球関係の動画をよく見ているわりに試合はぜんぜん見ていないし現役選手のことも知らないのでそのままにしていると、妻は野球はわからないから見たくないと言った。僕も知らないがルールは分かるので、点が入る仕組み、2ストライク以降はファウルがストライクにカウントされないこと、なぜピッチャーは牽制球を投げるのか、果ては犠牲フライまで説明する。村上春樹にも犠牲フライを説明する場面があったようなと思ってググったが出てこなかった。記憶が牡蠣フライと混線しているのだろうか。だいたいわかると妻は僕より熱心に見始めて、煙草を吸いに行こうとすると止められる。今度ハマスタに見に行こうよと言われて、4月まで次のシーズンは始まらないよと答える。

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10月24日

大前粟生さんに誘われて上野公園でピクニック。誰でも来ていいと募ったら僕らのほかに6人集まった。駅に着くと小雨が降っていて、国際子ども図書館は空いているだろうということで、そのなかのカフェでお茶をする。館内で日本の児童書の歴史を辿る展示を見る。展示されている本をそのまま閲覧できて、ふと石井桃子の『ノンちゃん雲に乗る』を手に取ると、冒頭で語り手がノンちゃんの人柄を紹介しており、いまの小説にないのは「報告」なのだなと思う。もともとノヴェルはニュースでもあったわけで。そうするとホラー小説の流行も、報告というスタンスが取りやすいからかもしれない。最近の小説は一行目から「世界でござい」という感じで読む気が失せる。ホームズのワトソンやギャツビーのニックみたいに報告者を作中人物にするか、ノンちゃんやカラマーゾフのように筆者(とされる語り手)の前口上を入れるか、いろいろかたちはあるが、読者が読者でいられる報告の気楽さみたいなものがあると思う。その点最近大前さんは日記形式の小説を書いているが、それもそういうところがあるのかもしれない。

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10月22日

YouTubeで自分がぜんぜん知らない世界の、しかし聴いていれば構造は理解できる細かい話を聴くのがとても心が安らぐのだが、最近はよくプロ野球関係の動画を観ている。おすすめに出てきた2004年のプロ野球再編騒動を振り返る座談会の動画を観て、これはいまのところ最後にして最大の、いわゆる「自浄作用」がちゃんと機能した事例なのではないかと思った。ナベツネを中心とする球団オーナーたちが勝手に描いていた、段階的にチーム数を減らしてセパをひとつにまとめるという青写真に対して、とりわけ選手会長の古田がそのことの重大さを素早く察知し選手やファンを巻き込んで試合のストライキまで実施して踏ん張って、なんとかセパ12球団というかたちは維持された。それから楽天やDeNAといった新興企業が参入し、ここ数年のプロ野球の盛り上がりは、近所に横浜スタジアムがあるので僕もいつもすごいなと思って見ている。話を聴いていて、どうしてもいまの、高市が自民党総裁になって以降の野党のぐだぐだや、議席数を減らそうという動きを重ねて考えてしまった。

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10月20日

妻の昼ご飯が僕の朝ご飯で、妻の晩ご飯が僕の昼ご飯というように生活時間がずれていて、妻が寝てからひとりでご飯を食べるのだが、自分だけのために自炊する気も起きずたいていコンビニで買ったものなどですませるところ、先日1キロぶんの手羽先と手羽元で作った水炊きのスープが残っていたので、それを使ってリゾットを作る。洗っていない米をオリーブオイルで炒めて、沸かしたスープを少しずつ足しながら15分ほど炊き、米の硬さを確認し、火を止めてバターを溶かして削ったチーズを混ぜる。ちょっとくどくなってしまった。出汁を白ワインとかでもう少し伸ばしていたほうが良かったのかもしれない。まあ自分で食べるぶんにはじゅうぶんだが。食器と鍋を洗って、換気扇の下で煙草を吸う。鍋の底に残っていた水滴を、火にかけて蒸発させる。しゅわしゅわと水がなくなるのをじっと見る。

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