10月30日

横国。授業の前にトイレに行くと、知らない言葉で話す声が聞こえる。いちばん奥の個室で誰か静かに電話しているようだった。硬質な声がタイルに反響して中東のラジオのように聞こえた。いま、礼拝だったのかもしれないと思って調べると、昨日の昼の礼拝の時刻は2時25分で、トイレに行ったあたりの時間だった。

最近はまっているキレートレモンのクエン酸が増量されたものをイセザキモールのファミマで買って店先で飲んでいると、松葉杖の男がいまにも倒れそうに歩いていた。松葉杖は片足が利く状態で、両方の杖を一緒に前後させることによって歩くものだが、彼の両足は後ろに引きずられつま先が地面に引っかかり、杖を片方ずつわずかに動かしている。福富町のコリアンタウンのほうからやってくるタクシーに向かって片手を挙げる。一方通行の狭い道で後ろがつっかえているからか運転手は降りず、通りがかりの何人かが一緒になって彼を車に載せていた。問題は、彼はどうやってここにやってきたのかということだ。僕にとって彼はとつぜん現れたかのようであったが、彼はどこかからここにやってきたのだ。しかしどうやって?

家の前の道を家の側に渡るためにちらっと後ろを伺うと、道の反対側に電話しながら歩いている女が見えた。同時に、くぐもった赤ん坊の泣き声が聞こえ、彼女が抱いているのかと思うと、僕と彼女のあいだをすーっと後ろから白いアルファードが通り抜けていって、助手席の窓がかすかに開いているのが目に入った。赤ん坊の観念がすり潰される。赤ん坊はこちらにいるのだ。

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10月29日

原稿を書きながら、明日の授業の準備をせねばと思っていた。東京ドームにStray Kidsのライブを聴きに行っていた妻が夜に帰ってきた。ツイッターで新潟に住んでいるファンのひとと友達になって、一緒に見たらしい。僕にはひっくり返ってもできないことだ。サンリオのキャラクターが印刷された小さなジップバッグに個包装のアメやチョコが入ったものを渡される。会ったほかのファンに渡すつもりだったが、ひとが多すぎて電波が悪く合流できずに余ったらしかった。明日の授業は春にやったワークショップのスライドを使い回せばよいと思った。

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10月28日

原稿を書きながら『千のプラトー』を読みなおしていた。

「戦争機械と国家装置を比較するために、ゲーム理論の立場から、将棋と碁という具体例を取り上げて、それぞれの駒、駒どうしの関係、そして空間のあり方を検討してみよう。将棋は国家のゲームあるいは宮廷のゲームであって、それに打ち興じるのは中国の皇帝である。将棋の駒の総体はコード化されていて、おのおのの駒は、駒の動きや位置、そして駒同士の敵対関係を規定する内的本性つまり内的諸特徴をそなえ、名前と資格を付与されている。したがって、桂馬は桂馬、歩兵は歩兵、飛車は飛車のままである。一つ一つの駒は、いわば相対的権能を付与された言表の主体であって、このような相対的権能のすべては、言表行為の主体、将棋を指す人自身あるいはゲームの内部性形式において組み合わされる。これに対して、碁石は、米粒というか錠剤というか、要するにたんなる数的単位にすぎず、無名の機能、集団的ないし三人称的機能しかもたない。「それ」はひたすら進むのであって、ひとりの男でも女でも、一匹の蚤であっても象であっても差し支えないのである。碁石は主体化されていない機械状アレンジメントの要素であって、内的特性などもたず、状況的な特性しかもたない。それゆえ駒どうしの関係も将棋と碁では非常に異なっている。将棋の駒は、内部生の環境において、自陣の駒どうしのあいだに、また敵陣の駒とのあいだに、一対一の対応関係を取り結び、構造的に機能する。碁石のほうは、外部性の環境だけを、すなわち星雲状、正座状の布置とのあいだに外部的な関係だけを構成し、これらの関係にしたがって、縁取る、囲む、破る、などの挿入あるいは配置から生じる機能を果たすのである。」ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』宇野邦一ほか訳、河出文庫、下巻15−16頁。

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10月27日

なかなか連載原稿の書き出しが決まらず苦しんでいた。最初はラトゥールのアクターネットワーク理論とフーコーの言表・権力理論を並べて考えるものにしようと思って、「アクター・ネットワーク理論と理論のオーバーアクト」というタイトルは思いついたのだが、出し抜けにラトゥールの話をするのも論文みたいだし、『社会的なものを組み直す』をぱらぱら辿りなおして時間が過ぎていくだけだった。次に昨日の日記をそのまま書けばいいのだと思い、それで黒嵜さんのサイトの話から日記の話に移って、メタテクストとプレーンテクストの話に繋げようと思ったのだが、日記をずっと書いている場での日記の書き方と原稿での日記の書き方はぜんぜん違うものが要求されるので、それもちょっと書いて挫折した。最後に、「一回休載を挟んだので、二ヶ月ぶりですね。」というワンセンテンスの段落を最初に置いて、前後の号の初稿と校正と刊行がうろこ状に重なりあう連載の時間について書き始めて、これなら上述のトピックのどれにも飛べるなと思った。ドゥルーズはカフカの小説(群)には「入口の多数性の原則」がある、つまりどこから入ってどこから出てもいいと言っていたが、その原則を実現するためにはそのつどこれしかないような書き出しが必要なのだと思う。

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10月26日

起きたら昼で、シャワーを浴びて左藤くんと近所のパン屋に朝ご飯を食べに行った。フランス人がやっている店で、サーモンのパニーニとコーヒーを頼む。黒嵜さんからいま起きたと連絡が来て、現在地を返す。スモークサーモン、クリームチーズ、バジルが挟まったパニーニを重厚なナイフとフォークで食べる。日本人のカフェ併設のパン屋でこんなに重たいカラトリーが配されているのを見ることはない。黒嵜さんが合流すると左藤くんは用事で帰って、平安神宮を北に抜けたあたりにある喫煙可の古い喫茶店に移動する。黒嵜さんのサイトの設計について聞く。3枚のカードが横並びになった、Desktopという名前のトップページだけのサイト。Googleドキュメント上での編集がそのままカードに反映される。カードの並び順は任意で、いずれかのカードを編集するとその最終日時が表示される(閲覧者はどれが最新投稿なのかわからない)。ある時点の3枚の状態をスクリーンショットを撮影するようにそのまま保存する機能があり、それが編集不可能な状態でBackupページに格納される。横並びのカード、リアルタイム感の攪乱、ある配置の固定・保存。編集と閲覧はつねに同期しているのに、タイムスタンプがかえって読者と執筆者のあいだに「遅れ」の関係を作る。実際は読者が遅れてきているのではなく、たんにそのときは書いていないだけだ。書いていない時間が即時性から引きこもる「著者性」を作る。朝起きてから日記を書き終わるまでのねちゃっとした1-2時間。昨日と今日のあいだの隙間にそっと差し込むように、あるいはそれによって「タイムライン」を裏切る昨日を作るように、リンクをツイッターに流す瞬間。

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10月25日

朝横浜を出て京都で授業をし、夜梅田で黒嵜さんが出るトークイベントを聞いて、みんなで京都に戻ってきて朝まで首塚で喋った。夕方に大和田さんに遊びにこないか聞くと来ると言って、しかしなぜか大阪まで来ず京都で新幹線を降りて、僕らが東山に戻ってマルシン飯店で合流した。寝る前にみんなで煙草を吸いに外に出て散歩をすると、山際が白くなっていって、帰り道はもう朝だった。

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10月24日

いろんな不調は慢性上咽頭炎がもとになっているのではないかと思い予約していた耳鼻科に行く。初めて戸塚で降りる。倉敷くらいの規模の静かな街。駅ビルを抜けて向こうに東海道本線が見える橋を渡り、大きなスーパーの脇道に入ると病院がある。戸建ての病院に来たのは久しぶりだと思う。早めに着いたがすぐ診察室に案内されて、アプリ内のチャットボットを通して事前に書いていた問診票を見ながら、フェイスシールドを被った医者が話す。とくに辛い症状は?——後鼻漏自体はそんなに気にならないというか、これが普通だと思い込んでいたのですが、毎日夕方になると後頭部が締め付けられるように痛くなってきて、それがいちばん辛いですかね——典型的な症状ですね。胸焼けはありますか?——とくに自覚はありません。鼻の穴を慣れさせるためか、長い綿棒を2本鼻に刺してしばらくして抜く。2種類くらいの薬品が、銀の細いノズルからスプレーされる。カメラを入れて、ぱしゃぱしゃとそれぞれの鼻の穴から喉のほうまで写真を撮っていく。両目の端、眼鏡のレンズの外にモニターがあって、粘膜がぬらぬらと動いている。一緒に写真を見る。ピンク色の粘膜にちらちらと白飛びした光が映っていて、炎症による浸出液だと言われる。アレルギー性鼻炎と逆流性胃腸炎で上下から挟み撃ちにするようになっているらしい。予定通り上咽頭をダイレクトに擦過するBスポット治療を受けることになる。綿が巻かれた先から10センチくらいのところで120度くらいに曲がった銀の棒を取り出し、鼻で息をするように意識していてください、2秒くらいのことですと言われる。すこし上を向いて口を開けると、角度をつけて差し込みながら棒をねじり、いち、に、と言って喉の上の壁を拭って、また三次元的に捻りながら棒を引き抜いた。素晴らしい手つきだ。涙目のまま処方される薬の説明を聞いて(オリジナルの点鼻薬が含まれている)、隣の薬局でそれを買って帰った。以下は医者がくれた上咽頭炎の治療について書かれた紙を書き写したものだ。

当院で上咽頭擦過治療(EAT療法またはBスポット療法)を受けられた方のQ&A

×××耳鼻咽喉科 ×××〔医師名〕 (2019年9月第4版)

上咽頭擦過療法(Bスポット療法)とは?
  • 塩化亜鉛を染み込ませた咽頭捲綿子(下図黒線〔図は省略する〕)で、鼻の奥・ノドの上部にある咽頭扁桃(上咽頭にあるリンパ組織)をこすりながら刺激する治療法です。
  • 塩化亜鉛による抗炎症作用、物理的刺激による瀉血作用、視床下部刺激による自律神経系・内分泌系、脳脊髄液系の調整作用等により、全身性に影響を与えていると想定されています。
どのような症状や疾患に対して有効でしょうか?
  1. 鼻咽喉頭・耳部周囲の症状
    • しつこい後鼻漏、咳や痰、喉頭異常感、嗄声
    • めまい、耳鳴、難聴、耳閉感、自声強聴
  2. 自律神経関連
    • 全身倦怠感、肩こり、線維筋痛症、睡眠時無呼吸症候群などの睡眠障害、慢性疲労症候群
  3. アレルギー・自己免疫系関連疾患
    • IgA腎症、掌蹠膿疱症、慢性関節リウマチ、ネフローゼ症候群、アトピー性皮膚炎、アレルギー血管炎、多形性浸出性紅斑、乾癬
治療時・治療後に痛みや出血、タンや咳が増悪したのですが?
  • Bスポット治療時に咽頭捲綿子に血がついていたり、自宅で点鼻薬をさすと滲みるといった上咽頭の炎症が残存する方には週に2回以上の、落ち着いている方には1〜2週間に1回のBスポット治療をお勧めします。
  • 症状が一過性に改善しても、上咽頭の炎症が残存した状態でBスポット治療を中断すると、症状が再度増悪して繰り返すこともあります。
  • 長期の通院継続が困難な場合は×××〔医師名〕医師までご相談ください。
その他、当院では下記療法も実施しております。詳細は×××〔医師名〕医師までご相談ください。
  • アレルギーに対する舌下免疫療法
  • 睡眠時無呼吸症候群に対するCPAP(持続陽圧呼吸療法)
ご興味をお持ちの方のための情報・問い合わせ窓口は

当院ホームページ(右記QRコード、http://××××××)

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10月23日

横国へ。坂道で汗をかく。大きい教室に変わって、やっとみんな座れるようになる。大きいプロジェクターはVGAしか繋げず、HDMIのアダプターしか持っていなかったので管理室に借りに行く。先週日記とパノプティコンを繋げて話したら、そういう管理は「合理的」だと思ったという感想がちらほらあったので、フーコーの権力論の話。どうしてひとは「統治者」の目線を内面化するのか。自発的隷属の問題。権力は「偉いひと」が「持っている」ものでも、どこかに中心や起源があるのでもなく、雑多な装置が噛み合わないまま分散するからこそ機能するのだという話をする。コロナ禍でも、学知、医療、行政、産業の関係は「統一的見解」からほど遠く、その分散のニッチにさらなる知や、マスクやアクリル板、「職域接種」、遠隔授業といった装置が流れ込む。それは権力の「失敗」ではなく、権力とはそういうものなのだ。そうして内心でワクチン陰謀論者をコケにしつつ、自分が気にしているのが健康なのかひとの目なのか識別不可能な薄暗い場所に閉じ込められる。

夜。公募書類を書く。公募に出すごとに、重版のたびに送られてきた『眼がスクリーンになるとき』の在庫が僕の「業績」となって減っていく。ひととおり書いて横になって、自分は本当に就職をしたいのだろうかと考えた。中学生の頃不登校になって高校に行きたくないと言っていたが、それは、勉強なんか自分でできるし、ぜんぶ自分でやりたかったからだった。そしてそのとき念頭にあったのは肉体労働で、それは、肉体労働以外の労働を知らないからだった。僕は本気だった。もう経済的には「自立」して久しいが(僕は修士のときから仕送りなしで生活している)、そんなものは自立でもなんでもないのだと思う。ただ好きで読んでいた本を自分で書けるようになったのに、いつのまにこんなにも弱気になっているのかと思う。でもいまはそんなことは考えないのだ。いまやっている仕事が終わるまでは、この程度の手間で撒ける種の手間を惜しむ必要はないのだと思う。

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10月22日

授業のための資料をworkflowyで作った。スライドは1枚の大きさにあらかじめ話の呼吸が定められているようで苦手。workflowyならそのまま字を大きくして画面を見せてもいいし、最近簡単なプレゼンモードも追加された。先週はプレゼンモードを使ってみたのだが、その場で書き込むのには向かないなと思った。内容はフーコーの権力論のまとめ。よくまとまっている。

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10月21日

土曜日。一日中妻と家にいた。昼に商店街にバインミーを買いに出て、夜にやよい軒に晩ご飯を食べに出た。季節のものとしてカキフライが出ていて、カキフライふたつとエビフライとアジフライがひとつずつ乗った定食を頼む。店は混んでいて、悪そうなカップルと小さな子供を連れた親子、あとはひとりで来た中年の男たちで、男たちはみなイヤホンを着けてスマホで動画を見ながらご飯を食べていた。僕より年上の男たちが、いつしかスマホで動画を見ながら外食する習慣をそれぞれに身につけてきたのだ。その最初の躊躇、その最初の捨て鉢な気持ちに思いをはせる。

その日の夜の内に書くと言ったが、やはり無理だった。こればっかりは3年日記を書いてきていまだにどうにもならない。

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