11月29日

京都で授業。先端研の建物の入口ですれちがった学生にニュウカンキョクに行くので今日は授業を休みますと言われ、いいっすよと言ったあとで、たしかにニュウカンキョクと言ったような気がするが、それは入国管理局のことだろうか、留学生は日常的に入管に行くものなのだろうかと考えた。授業はいつもあまりに上手くいくので、こんなのずっとやってたら自分の仕事をやる気がなくなるのもわかるなと思う。

帰ってすぐ1時間ほど寝て風呂に入って、ひとりで音楽を聴いてストレッチをしてマルカム・ラウリーの『火山の下』の続きを読む。30年代のメキシコを舞台にした、中南米版『グレート・ギャツビー』のようなぶ厚い小説。すべてがダメになったところから始まるところが違う。メキシコと僕のあいだには、卒論で扱ったブニュエルがフランコ政権時代にメキシコに逃げて映画を撮っていたというかすかなつながりしかない。その20歳くらいの頃のかすかなつながりをたよりに、夜中、寝る前のしばらくの時間、その頃の続きとして読んでいる。

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11月28日

授業の資料をそのまま貼り付けて日記にしてしまえばいいではないかと思って、いちどは実際貼ってみたものの、やはりちょっと嫌らしいなと思って消して普通の日記として書いた。昼から夜まで外で作業をして、やっとここ1ヶ月くらいスタックしていたセクションにキリがついた。自分を許すのと区別がつかない終わり方だった。あとはもうあとひとつ節を書けば終わり。もう言うべきこともあまりない。でもそのちょっとの言うべきことが何なのかはこれから考えなきゃいけない。夜中、いつのまにか頭のなかで誰かと口論していて、「私はあなたの醜さの一部です」という言葉がよぎる。

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11月27日

朝早めに——といっても9時頃——起きて、授業の準備をする。ドゥルーズの『哲学とは何か』をもとに、戦後の哲学の自己批判ムードのなかで、なぜドゥルーズは素朴に〈哲学すること〉に向かったのか、哲学とは何か、哲学が作る「概念」とその体系とはどういうものか、哲学の内的な多元性と哲学と他のものとの多元的な共存はなぜ両立すべきなのか、ということについてworkflowyでまとめて、それをそのままスクリーンに映して喋る。最後に「触発の自由」と「仕事の自律性」という言葉で、なぜドゥルーズが哲学、科学、芸術の関係を「非」という言葉で特徴づけているのかということを話す。哲学が他のものから触発を受けるのはいいことである。しかしそれは往々にして、哲学が当の他者を「説明する」とか「基礎づける」とかいうかたちで包摂にすり替わったり、あるいは当の他者にこそ世界の真理があるのだと自分を投げ出してしまい、自分は自分の仕事をするべきだということから逃げる口実になってしまう。それはある種の照れ隠しというか、ナルシシズムへの恐怖というか、心の弱さなのだ、ということまでは言わなかった。いつも講義のあとはコーラが飲みたくなる。帰りに関内で降りてマックに寄って、コーラをLにしたダブルチーズバーガーのセットを食べた。

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11月26日

(以下、夜中にノートに書いた日記の引用)
なんとなく自分のために日記を書いてみる。妻はもう寝ていて、明日は日記と哲学の授業なのだが、どうにも準備をする気になれず、ぐずぐず起きている。YouTubeを見ていてたまたま見つけたCherryboy Functionというひとの音楽が素晴らしくて聴いている。それにしても、いま僕はどういう状況なのだろうか。博論の書きなおしはもう始めて3年経って、終わりは見えているがいっこうにそこに近づかず、とはいえ毎日コンスタントに作業をしているかというとそういうことでもなく、家事やほかの仕事にかまけ、夜になればもう動画ばかり見ている。僕はどうすればよいのだろうか。身近なひとに聞けばみんな君はもう十分やっていると言ってくれるだろう。でもそういうことでもないのだ。書き進めないといけない。でも完全に破綻したままにしているセクションや、まだ書く前から半分落胆している結論のことが、ずっと、ずっと、頭のうしろに引っかかって、風で落ち葉が隅に集まるように、そこに切れ切れの言葉が集まっている。

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11月25日

「それはもちろんメキシコではなく、心のなかにある。今日、弁護士たちから二人の離婚の知らせを受けたとき、僕はいつものようにクアウナワクにいた。身から出た錆だ。別の知らせも受け取った。イギリスはメキシコとの国交を断絶し、駐メキシコ領事は全員——つまりイギリス人は——本国に召還されるのだという。領事たちはたいがい親切で善良で、僕はただその名をおとしめている。僕は彼らと一緒に帰るまいと思う。帰るにしても、イギリスという故郷へは帰らないつもりだ。それで、夜中、トマリンまでプリマスを飛ばして、〈サロン・オフェリア〉にいるトスカラ人の闘鶏士セルバンテスに会いに行ったのだ。そしてそこからバリアンの〈ファロリート〉にやって来て、朝の四時半、バー脇の小部屋で、オーチャス、それからメスカルを飲みながら、いつか泊まったときに失敬してきたベーヤ・ビスタの便箋にこれを書いている。墓場にも等しい領事館の便箋は見るだけでつらくなりそうな気がしたのだ。肉体的な苦痛ならよく知っている。だがこれは、君の心が死んでいく感覚はなによりも苦しい。いま、むしろ何やら穏やかな心持ちがするのは、今宵、僕の心が本当に死んでしまったからだろうか。」
マルカム・ラウリー『火山の下』斎藤兆史監訳、渡辺暁+山崎暁子訳、白水社、2023年、47頁

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11月24日

前の晩に妻に模様替えがしたいのだと伝えて、朝、こういうのは明るいうちにやるべきだと起こされる。作業机が妻と向かい合わせになっていたのを窓に向かって横並びにして、寝室に向かう引き戸を半分潰して置いていた本棚を寝室の本棚のひとつと入れ替え、入れ替えたものを寝室の入口の脇に置く。まず机を動かして、配線を引きなおす。棚から本を出してふたりで棚を移動させる。居間の中心のスペースがだいぶ広くなった。ソファを本棚があった位置に動かし、200×140センチのカーペットがそのまま、何もない場所になる。机は外に向かって横並びで、ソファとニーチェアは直角にカーペットを囲み、小さなダイニングテーブルがキッチン側に孤立している。ついでに衣替えをして、数年着ていない服を捨てるものと売るものに分けた。

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11月23日

祝日。酉の市。夕方になると家から通りに出るのも大変になるので、昼過ぎに出かけて夜まで帰ってこないことにする。もう屋台は始まっていて、人が集まり始めている。左手で煙草を吸いながら右手で車椅子のハンドルを操作して滑走しているおばあさんを見て、たくましい街だなと思った。5時間くらい作業をして、今日はもう書けないと思って帰る。スーパーに寄って晩ご飯の材料を買う。9時を過ぎていたが結局まだ人が多い。でも牛歩になるほどでもない。帰ってベビーホタテのマリナーラスパゲティを作った。

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11月22日

京都へ。名古屋までに「言葉と物」第6回のゲラを返し、京都までに日記を書いて、そのあいだ2回喫煙所に行った。ゲラにはあまり手を入れない。校閲からの指摘を半分くらい受け入れて、ちょっと勇み足になっているセンテンスや形容詞をいくつか削ったり、動詞の能動受動や助詞を入れ替えたりする。初稿を渡すときにぼんやり今回は1行空きのところで区切って節タイトルを入れたほうがいいかなと考えていて、ゲラを見てみてそのほうがよさそうなので入れた。iCloudのデスクトップに置いていたゲラのファイルをiPadのPDF Explorerでゲラを開いて、ペンで赤を入れて、節タイトルは読みやすいようにテキストボックスを置いてタイプし、そこにペンで線を引っ張る。そうすると本文ページ内で「A-7」という系列の区切りと節の見出しが干渉することになるので、今回の記事タイトルの手前に「A-7:」と書き足して、Googleドライブにアップロードして編集者にリンクを送る。編集者からすぐメールが返ってきて、節タイトルのほうを一字下げにすれば「A-7」との階層関係を示すことができるので、「A-7」の位置は本文冒頭のママでもいいのではないかと提案される。そういうことならそれでいいですと返す。名古屋駅で停まる。いちど喫煙ブースに行って、戻ってきて日記を書く。老人の公園将棋クラブ、耳鼻科の子供、朝倉未来の涙について。

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11月21日

いつも昼になると、横浜橋商店街の入口に接する大通り公園の広場で20人くらいの老人が集まって将棋をしているのだが、今日見てみると将棋ではなく、誰かがもってきた小さなこたつ机の上にトランプを並べて何かのゲームをしていた。よく見るホームレスのおじさんがその人だかりの脇に座っている。彼は商店街の店が閉まるとその軒先に寝て、昼は公園に座っている。

戸塚の耳鼻科で3回目のBスポット治療。いつも夕方になるとやってきた頭痛はすっかりなくなった。状況を見て新たな薬が出される。待合にいると親子が診察室に行って、しばらくして3歳くらいの子供だけが戻ってきた。ビニールのソファの上に寝転がって、赤いスリッパを床に投げ捨てる。棚から本を出してきてぱらぱらめくっている。慣用句の辞典らしかった。それくらいの子供がひとりで何かしているのを見ることもないのでしばらく見ていると会計に呼ばれた。

先日YA-MANにオープンフィンガーグローブのキックボクシングで負けた朝倉未来がYouTubeにひとりで撮った動画を上げていて、少し休むが必ずまた戻ってくると言って涙を流していた。いつも仏頂面を崩さない彼が泣くのを見て、同い年なのもあり、考え込んでしまった。スポーツ化する総合格闘技の向こうを張って「ガチ」の喧嘩の場として作ったはずのブレイキングダウンがどんどん「ネタ」になり、不良キャラの延長線上で作ったYouTubeが300万人のチャンネル登録者を抱える一方で格闘技に専念しろと言われ、単発の危うい興業を助けるために出た未経験のルールの試合で格下のYA-MANにあっさり負け、自分はひとを喜ばせることにいちばんの喜びを感じると言いつつ、自分のために格闘技をやりたいと言う。彼のようなひとを救うには、ガチかネタか、あるいはその識別不可能性ばかり言っていてもしかたがないのだ。ひとが泣いたり笑ったりするのは、それがガチかネタかわからないからではなく、「ガチであれネタであれ」それを出来事として肯定しているからだ。そういうことができるんだということを僕なりにやりたい。

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11月20日

妻がまた1週間が始まったと言っていて、僕はまた月曜が来たな、横国だな、水曜は京都だなとは思うけど1週間が始まったとは思わないなと思った。横国での授業はこれまで話したフーコーの言説、言表、権力論についてそれぞれのトピックをつなげながらまとめた。来週は「自己の書法」から日記の話に帰ってきたいけど、日曜までに準備のやる気が出なかったら手頃なドゥルーズの「欲望」の話とかをしよう。

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