1月30日

何もしたくなかったが、家を出て珈琲館で日記を書いて関内の丸亀製麺で昼ご飯を食べて、ドトールで原稿を進めた。 stoneに原稿を分離して書き始めて、ずっと書けなかったことが1000字ほど書けた。ここ数ヶ月ずっと、ずっと書けなかったことを書いていて、街の風景に染み出したその恐れや切なさのなかを漂っている。行きは伸びる自分の影を追うように、帰りは一様に影に浸された人びとに紛れるようにイセザキモールを往復して一日が終わる。帰り道、赤いマントを羽織って王子様の恰好をした男の子がチラシを配っている。新しいコンカフェができたらしい。コンセプトカフェ。概念とコーヒー。僕も似たようなものだ。

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月29日

月曜日。授業は逃げのワークショップ回だったので楽だった。帰って夜まで寝て、真夜中にシェアバイクで馬車道のジムに行った。しっかりストレッチをして、ゆっくり20分走って、4種目ウェイトをする。行きに見たバス停の椅子に奇妙に傾いた姿勢で座ったホームレスが、帰りも同じ姿勢で座っていた。関内側の飲み屋街では揃いの赤いベンチコートを着たガールズバーのキャッチが3人横並びになって、スーツを着た男の話を聞いていた。

春から実入りが厳しくなるので、何か自分でやろうかなと考えている。すぐできるのはオンラインのレクチャーだ。『差異と反復』の第3章や、あるいは『知の考古学』の「言表を定義する」のところとか、チャプター単位の解説を全5回くらいずつで、通しで2万円くらいの料金でやるといいかもしれない。まだら状というか、バラ売りというか、名付けが難しいが、チャプター単位で精読するのはいいと思う。『差異と反復』第3章でいえばそれだけで「超越論的経験論」のなんたるかもわかるし、ドゥルーズの哲学観も明示されているし、カントやデカルトとの対立図式もあり、読書会的なものと概説的なもののいいとこどりができそうだ。実際、いくつかちゃんと読めるチャプターさえあれば、現代思想のコアとおおよその哲学史の流れはつかめる。ぜんぶちゃんと読むべしというのは、専門家がテクストを人質に取っているだけだ。大学とオルタナティブスクールの両方でやってみて、単純にお金のことで考えればひとりでやったほうがいいなと思うところもあり、やるなら単発ではなくちゃんと全体の名前をつけて、ネット上だけでも場所を作ってやったほうがいいだろう。誰か呼ぶときは僕が教えてもらいたいことを教えてくれるひとを呼びたい。原稿の壁打ちにも使えるし、こちらが壁になる場も作ってもいいかもしれない。とりあえず名前とドメインが要る。名前が難しい。僕ひとりの場所という感じはあってほしいが、僕の名前は使いたくない。

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月28日

ある男が部屋に入る。しばらくそこにいるだろうが、いずれ出て行かなければならない。なぜか。いちど入った部屋から永遠に出ないというのは、あまりに馬鹿げたことだからだ。ただそれだけのことで、われわれはある部屋に入り、出、別の部屋に入る。

別の話。たまに友達から、僕は怖い、というか、怖がられているということを言われる。かつてその感じはよくわからなかったが、いまはなんとなくわかる気がする。たんに冷たいとか、そういうこととは別に、誰かが何かについて語っているときに、僕は、何かについて語っているお前は自分を誰だと思っているのかという、言わば「詰問型現象学」みたいなプレッシャーを与えてしまうのかもしれない。それは僕が僕自身に課していることなのだと思うが、それが緊張を生んでしまうのかもしれない。しかし「詰問型現象学」とは。ものすごく嫌な言葉だ。

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月27日

読んだもの
コンラート・ローレンツ『攻撃——悪の自然誌』
ユベール・ダミッシュ『カドミウム・イエローの窓——あるいは絵画の下層』
ウィリアム・モリス『小さな芸術』
マルカム・ラウリー『火山の下』
市田良彦『フーコーの〈哲学〉——真理の政治史へ』
松田道雄『ロシア革命』
ジャック・デリダ『散種』

聴いたもの
The Smile, Wall of Eyes


投稿日:
カテゴリー: 日記

1月26日

最終節の後半。ドラフトの終わりから続きを書くとそれまで書いたぶんの圧を感じてしまうので、workflowyに移って、順番を気にせずに段落になりそうなもののマケットを作っていく。まずなんとなく言いたいことを書く。一文でもいいし、A:B=C:Dみたいな用語間の関係でもいいし、そのままつらつら300字ほど書いてもいい。その下位の項目に、これまた何でもいいものとして、文や引用や語句とその定義をぶら下げていく。それがなんとなく飽和した感じ、それがある区画を表示し、そのなかがある程度走査されている感じを合図に、次の段落らしきものに移る。

夜中、久しぶりにジムに行く。体重計に乗ると65キロで、下手したら68キロくらいになっているんじゃないかと思ったが前から変わっておらず、体質が変わらない限り普通にしていればこれくらいなのだと思った。減らす努力をする必要もなさそうだ。有酸素運動もちゃんとしようと思って、15分走って、10分バイクをして、10分手と足を一緒に動かすクロストレーナーをする。脚が棒のようになったのでウェイトは上半身だけにした。シェアバイクで家の近くまで帰って、セブンイレブンでホットカフェラテを買った。

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月25日

午後じゅう外で作業したがいまの自分のいる地点を確認しただけでめぼしい成果がなく、肩を落として帰った。せめてと思ってスーパーに寄って食材を買って夕飯を作った。夜、ゆっくり本を読んだ。

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月24日

横浜駅で2回目の整体。何ヶ月かぶりにパソコンを持たずに出かける。鞄が軽い。最初に力を抜いて座ったときの姿勢を見てもらうと、こないだ施術の前にチェックしたときより自然に骨盤が立っている。次回の予約をして街に出て、五番街にある煙草が吸える喫茶店に入る。ここはコーヒーが苦くて濃いだけでおいしくはないのだと気付いてから何年か来ていなかった。日記を書くのにパソコンがないのに気付いてスマホを取り出すと昨日送った原稿について編集者からメールが来ていて、そのままGmailのアプリ上でファイルをタップして、註が消えて行間が詰まりフォントもデフォルトのもので表示されるその小さい文字の原稿を夢中で読み返していて、隣のおじいさん3人組の誰かが言った「高浜虚子ってあの有名な名前のひとか」という奇妙な冗語法で意識を引き戻される。コーヒーも水ももうなくなっていて、貧しい形式で読む5万字の原稿に思いのほか集中してそれだけでひと仕事したような気分になって、店を出てジョイナスの地下にあるスンドゥブの店に入った。右手でスプーンを持って左手で日記を書いて、Don Don Downという下品な古着屋に久しぶりに寄ってみた。ギャルソンの縮絨ウールのパンツを履いてみたかったが、面倒なのと、やっぱり店内放送がうるさいのですぐに出て、高島屋の地下で晩ご飯のサラダとおこわを買って帰った。

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月23日

夜までかかって『非美学』の最後の章の最後の節の手前までの原稿を整理して編集者に送る。3年以上もこうして、毎日ちぎっては投げる文章と、1段落進むのに実際に、あるいは頭のなかで、幾度となくそこまでの道のりを辿りなおすことを要するような文章を並行して書いてきたのだと思う。始めたときにはすでにあとちょっと、あとちょっとと思っていて、実際に作業は進んでいるのにそのあとちょっとが日増しに分厚くなって、一本の直線という迷宮に閉じ込められたような。この比喩は前も使った気がする。しかし実際それくらい時間も作業も進んでいて、でもそこから出られないのだ。

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月22日

日記の授業。『パイドロス』の後半の、弁論術とエクリチュールの話。朝起きてレジュメにまとめる。2時間で専門でもない内容について90分喋るレジュメが作れるのは才能なのではないかと思う。来週までキツそうなのであらかじめ次回はワークショップにすることにして、課題として日記を書いてもらうことにする。編集者に今月末の連載締め切りをスキップさせてもらうお願いのメールをする。ふたつ仕事を消してだいぶ気が楽になった。関内で仕事終わりの妻と合流して、ロイヤルホストでご飯を食べた。アンガスビーフフェアをやっていて、ステーキとグリルした海老とフィンガーチキンがひとつのプレートに乗ったものと、クリームスピナッチと、パンを頼んだ。

投稿日:
カテゴリー: 日記

1月21日

耳栓、マッサージガンに続き3日連続その日アマゾンから届いたものの話になるが、ニコラ・アブラハムとマリア・トロークの『狼男の言語標本』をぱらぱら読んでいた。こういうものを読める人はいなくなるのだろうと思う。フロイトのもっとも有名な症例のひとつである「狼男」について、別のふたりの症例報告と併せて分析した本。狼男も分析家たちも著者たちも、そして序文を書いているデリダも含めて、20世紀のヨーロッパを煮詰めたような本だ。オーストリア゠ハンガリー帝国と帝政ロシアという、それぞれもうすぐなくなる帝国で生きるふたりが、1910年、ウィーンで出会う。のちに狼男と呼ばれる若いロシア人はフロイトに彼を後背位で犯し、頭の上からうんこをする妄想を話す。姉は自殺し、彼の財産は革命によって紙くずになる。フロイトは彼の症例を「ある幼児期神経症の症例より」という論文にまとめ、それは第一局所論から第二局所論に転回する「裂け目」になっている。二度目の治療は寄付によって行われる。精神分析家から金をせしめた数少ない患者だろう。1938年、ナチスドイツがオーストリアを併合し、狼男の妻は自殺し、その翌年、口蓋の癌が悪化しフロイトは亡命先のロンドンで死ぬ。狼男はその後もふたりから分析を受け、そのひとりのガーディナーによって書かれた『狼男による狼男』の出版によって生ける伝説となり、1979年まで生きた。調子がいいときは絵を描いていたらしい。『狼男の言語標本』は1976年の刊行なので、著者らは本人の存命中に、あくまで症例分析のテクストをもとに本書を書いたことになる。アブラハムもトロークもハンガリーからパリにやってきたユダヤ人で、彼らもまた戦争によって大きな傷を負い、正統フロイト派ともラカン派とも距離を取りつつ仕事をする。帝国の消失、英語もまだあくまでそのひとつであるような多言語的で、まだ誰がどこに住むかも決まっていないような多民族的な環境、メディアといえば新聞とラジオで、連絡は手紙でしか取れない。われわれは文明レベルでもうそこから隔てられているのだと思う。「狼は一匹か複数か」が収録された『千のプラトー』が出たのが1980年だ。もうこういうものは読めなくなるのだろう。「埋葬語」が症状を呼び、そこに外国語が見出されるような文明ではもうないのだろう。とすれば、これはわれわれにとって何なのか。

投稿日:
カテゴリー: 日記