3月12日

 眠りに落ちる前の半分夢を見ているような状態で何かいいアイデアが浮かぶことは誰しもよくあることだと思う。そのほとんどを起きたときには忘れていて、覚えていても十中八九なんじゃこりゃとなるだけなのも含めて。日記はとりあえず1年間続けることを考えている。その日あったことを羅列するタイプのものではないので——じゃあどういうタイプなのかというと、まだよくわからないのだけど——それ以上このやり方で続けるのは無理があるし、別のものを始めるとしたら写真とか俳句・短歌とかそういうぱっと出せるものにしようかなと思っていたのだけど、昨夜眠りに落ちる前に思いついたのは全く別のことだった。

 1年続けると365日分の日記が溜まる。来年の1月20日から2年目が始まる。思いついたのは2年目(以降)の日記のふた通りの書き方だ。ひとつめは、来年の1月20日の日記は今年の1月20日の日記を書き換えたものにし、以降も1年前のその日の日記を書き換えることを繰り返し、1年分の日記の別バージョンを作ること。この場合問題になるのは、書き換えの方針や規則をどのように設定するかということだ。書き換えているその日の何かを書き換えられるものに混ぜ込むというのがまず思いつく。

 ふたつめは、来年の1月20日には今年の1月20日の日記の続き、つまり虚構の2021年1月21日の日記を書き、以降も同様のことを繰り返すというやり方。これを1年続けると365日それぞれの「次の日」が出来上がり、さらにその次の年の1月20日には「2021年1月22日」の日記を書くことになるので、1年ごとに1日ずつ書かれる日と書く日の日付がずれ込んでいくことになる。これを365年続ければ、2021年1月20日から2022年1月19日までのそれぞれの日を出発点とする365通りの、365日分の日記が出来上がる。問題はひとは365年生きないということ、そしてそんなものが出来上がって何が嬉しいのかということだ。

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カテゴリー: 日記