2月21日

 読み返していてこの日記の大和田俊の登場率の高さ——夢にまで出てきた——が気になった。もちろん友達だからというのもあるが、1月21日の日記を読んだ編集者から今月の初めに彼の個展のレビューを依頼されたからだろう。依頼から執筆に本格的に取り掛かるまでのあいだはそのことが無意識でぐるぐる回っていて、ときおり浮かぶアイデアをワードレベルで貯めておく。それはたいてい論述対象に直接関わるものというより、それを外に引っ張り出すために着けるグリップの候補のようなもので、細部に降りるのはある程度周りをふらふらしてからだ。まだぜんぜんまとまってはいないが、彼の《unearth》はもう4つのバージョンを見ているので、そのバリエーションをとっかかりにしつつ今回の個展で提示されていることを考えたい。

 使えるかもなと思って買った『思想』2月号の「採掘−採取 ロジスティクス」特集が面白い。60-70年代にベトナム戦争を背景としながら起きたコンテナ革命は、港から荷役の労働者を一掃し、陸と海という異なるモードのあいだに連続性を打ち立てることで、賃金が安い国への生産過程のアウトソース、いわゆるサプライチェーンを容易にする。たんなる規格化されたデカい箱とそれを運び管理するための機械的−情報的なシステムが、国内の失業者と国外の低賃金労働者を同時に生み出す。そういえばイギリスの港で、コンテナに入って密入国を試みた難民たちが中で亡くなっているのが発見されたというニュースをしばらく前に見かけた。大和田俊の作品をコンテナ的なるものへの抵抗として見ることができたら面白いなと思うけど、まったく確信はない。

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カテゴリー: 日記