3月3日

 しばらく前のことだが、ろばとさんが書いたPornotopia: An Essay on Playboy’s Architecture and Biopoliticsという本の書評が面白かった。それでこの本も出しているZone Booksが最近何を出しているのか気になり、出版社のサイトを覗くと近刊にダニエル・ヘラー゠ローゼンのAbsentees: On Variously Missing Personsという本があった。去年「いてもいなくてもよくなること」について『失踪の社会学』の中森弘樹さんとくろそーと3人で鼎談記事を作って、そこで喋ったことがその後の仕事にいろいろ影響している。『不在者:様々にいなくなる者らについて』とでも訳せるだろう本書もとても気になる。それでそういえば彼の『エコラリアス』は積んだままになっていたなと思いここのところぱらぱら読んでいる。喃語の音声的な多様性・柔軟性に着目し、インファンス(言葉をもたないこと=幼年)から言語へと向かうことで抑圧されるその多様性が、言語の死に際に回帰したり他言語に残響したりする。それが断章形式でいろんな時代のいろんな言語を例にとって語られて、特にロマンス諸語のhの位置づけについての部分は面白かったのだけど、他方でシニフィアン/シニフィエの固定(ドゥルーズ゠ガタリが「シニフィアンの帝国主義」と呼んだもの)から逃れる記号の剥片を拾い集めているだけでかったるいなとも思ってしまう。要するにシニフィアン批判なんだからそれを正面からやればいいのにと。でも著者からしたらこの「要するに」が受け入れられないのだろう。そういう書き方もある。

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カテゴリー: 日記