3月21日

 書きあぐねていた事務書類があって、ある物が「不要」である理由を書かなければならかったのだけど、不要だから不要なのであり、それ以上考えるのが面倒になりほったらかしにしていた。しかし昨晩ふと「用途がない」という言い回しが思い浮かんで、これなら書けるなと思いながら眠り、起きてさっき書いて出した。これで通るのかどうかは別問題だけど、こういう突破は他の文章を書いているときにもよくある。

 これこれの事由により不要である、というのはとても強い言い方だ。いくら理由を連ねても、それと積極的に不要だと言うことのあいだにはジャンプがある。それがあると害をなす、あるいはそれが使えなくなるような破損を被っているわけでもないものについて、これはいらないと言うのは、結局いらないからいらないと言っているのと変わらない。しかしこれこれの事由により用途がなく、したがって不要である、というのは不思議なことにロジカルな感じがする。用途がないと言えば当の物の「パフォーマンス」について言及する必要が一切なくなる。物そのものではなく物を取り囲む状況に問題がシフトされるわけだ。あとは相手のプロトコルないし担当者の性向が「用途がない」と「不要」の短絡を受け入れるかどうかに関わっている。いずれにせよ文章というものは、「不要」の手前に「用途がない」を置くだけで視野がぱっと開けるような微妙な手続きの連続で成り立っている。

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カテゴリー: 日記