9月12日

以下はある原稿の下書きです。とりあえず一息でかけるところまで書いてみよう。

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社会的分断というのは、言葉の面から見れば、あらゆる言葉がその集団の内部ではミームとなり、外部からの、あるいは外部の集団への言葉がスパムとなることを意味するだろう。これは標準語と方言のようないわゆる中心−周縁図式とは異なる社会言語学的な軸として考えることができるかもしれない。

というのも、ミームは特定の集団への帰属を指し示すものではあるが、「標準語」ないし「共通語」に見込まれるような正書法的な(orthographical)規範や由緒正しい歴史をもつものではないからだ。それはすでに何らかの外部性に晒されている、というか、外部性をユーモアで馴化するものがミームだと思う。

たとえば「草生える」というネットスラングの由来を考えてみよう。まず(笑)という記号が日本語対応していないオンラインゲームのチャットで(warai)と表記され、それがネット掲示板や動画サイトのコメント欄へと場所を移しつつ短縮されwになり、さらにwwwでその強調が表現されるようになった。この見た目が草が生えているようなので、wwwと書き込むことが「草を生やす」と呼ばれるようになり——重要なステップだ——最終的に笑うことそれ自体を「草生える」あるいはたんに「草」と言うようになった。

最初に目につくのは(warai)という表記の如何ともし難いぎこちなさだ。(笑)というそれ自体古いものではない、しかし少なくとも日本的な語(語と言えるのか? ということは措く)と欧米のプラットフォーム、QWERTY配列のキーボード、ローマ字入力という、多重の異邦性との衝突がそこにはあまりに明け透けに現れている。wはたんに倹約的であるというだけでなく多少ともその衝突をマイルドにするものとして一般化したのではないだろうか。そしてこれが外国語の文字としてではなく絵として読み替えられ、草として日本語のエコシステムのなかに位置づけられる(しかしそこには親しい人の知らない表情を垣間見るような微かな違和が残存しており、そのことがミームをミームたらしめる。(ryが(略)のミスタイプから生まれたように)。

そしてこの草が文字通り繁茂したのがゲイポルノを笑いのネタにしたいわゆる「淫夢ネタ」の動画コメントにおいてであったことは、見過ごすべきでない点だと思う。異性愛規範に対する外部性を笑いによって馴化するためにこうした、それ自体外部性を隠蔽することで生まれたミームが多用されその外へと拡散されたことは現代の情報−技術環境と言語、そしてマクロまたはミクロな政治の絡み合いを考えるうえで非常に示唆的だ。われわれは異質なものに対して歴史的な正当性によってではなく、すでに成功した——ことすら忘却された、いや、忘却することで成功した——馴化によって他者化しながら包摂するのだ。

これに対してスパムは、

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というところで続きは公開を待ってください。ネット記事で、公開は今月末くらいだと思う。

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カテゴリー: 日記