9月30日

Zoomで翻訳のミーティング。それぞれ一章ずつ訳し終えた段階で訳の方針や本全体の印象について話す。共訳者の原稿を読みながら僕と違う表記・訳語を使っているのが目についたので、それをスプレッドシートにまとめたものをミーティングの前に共有した。訳語の選択も難しいが、もっと難しいのは統一するべき語と文脈によって訳し分ける語を選り分けることだ。たとえば僕の『眼がスクリーンになるとき』の『シネマ』読解としての骨子は、邦訳で「見たままの」とか「文字通りの」とか訳し分けられていたlittéralという語の訳語を統一するというちょっとした操作にある(もちろんそこからが大変なのだけど)。概念だと思われていなかったものを概念とするとそれだけで本全体のマッピングが変わるので、ドゥルーズの概念として共有されているわけではないが、ドゥルーズのイディオムと言えなくもないくらいの言葉の翻訳が難しいし、このレベルをどう取り出していままでの理解をひっくり返すかというところが研究の面白いところだと思う。とはいえたとえば英語のbecomingにあたるごく一般的な言葉であるdevenirを杓子定規にぜんぶ「生成変化(する)」と訳してもドゥルーズ解釈共同体しか読まないものになる。ほぐせるところはほぐして、締めるところは締めて。今回は原著がかなりガチガチとジャーゴンを詰め込んだ書き方なので基本線としてはほぐしオリエンテッドな訳し方がいいと思う。

投稿日:
カテゴリー: 日記