1月5日

見事に風邪をうつされた。ちょっと喉に違和感があるくらいなので大丈夫だけど。ついでに昨日のオマケとしてちょっと書いておこう。ウィリアム・モリスのlesser artsは、日本では小芸術と訳されているようだが、どうにも座りの悪い訳語だなと思う。この場合レッサーであるというのは「小さい」とか「些細だ」ということではなく、めちゃめちゃ憶測だが、「非−全面的」あるいは「非−自己充足的」であることを意味するのだと思う。だからレッサー・アートは「片手間芸術」と訳されるべきだと思う。たとえ装飾的なもの、工芸的なものがひとつのプロフェッションとして固定されているとしても、物作りの世俗性に向き合うことはその「片手間性」に向き合うことと同じだ。「片」も「レッサー」も部分的なものというより全体からの剥離を指し示している。昨日日記もレッサー・アートだと書いたが、それは多少とも煩雑な生活のなかで、あくまで片手間に、当の生活から剥離する切片を書き留めているからだ。片手間であるということが可能にする内在性がある。そういえばイベントフルネスよりイベント「レス」ネスがこの日記では大事なんだと以前から言っていた。問題は「芸術」は手放さなくていいのかということだが、これはそれを残すことによる批判的な機能に期待してそのままでいいということにしておく。芸術などではございませんというアイロニカルなへり下りだと思われるのも癪だし。

チャイムが鳴って、インターホンの画面を見ると以前も来た分譲マンションの営業の人だった。そのときは知らずに受けて、引っ越したばかりなのでいらないと言うと、もしかしてまだ段ボールに荷物が入ったままなんじゃないですか(そのまますぐ引っ越せますよということだ)とか言ってきてウザかったので放っておいた。スーツを着てバインダーを抱えた男が立っている。カメラ、マイク、テンキーが縦に並んだ非人間的なパネルの前で所在なさ気に立っている。しばらく見ていたらカメラに向かってお辞儀をして帰っていった。なんだっていいのだ。

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カテゴリー: 日記