日記の続き#20

夜中、Twitterでエゴサしてみるとどうやら蓮實重彦が新刊で僕の本に言及しているらしくこれは大変なことだと『ショットとは何か』をKindleで買って本文を「福尾」で検索してみると、彼がドゥルーズ『シネマ』を批判している文脈で「比較的よくできていると判断されている」(奇妙な言い方だ)研究書として『眼がスクリーンになるとき』が挙げられ、僕が冒頭で『シネマ』について映画の誕生から執筆当時の作品までを取り上げた「全面的な」書物だと言っていることが気に入らなかったようだ。要するに映画のイメージを分類するというドゥルーズの思い上がりをたしなめる行きがかり上僕に流れ弾が飛んできた格好で、逆に言えばどうやら彼の『シネマ』理解そのものがかなり拙著に拠ったものとなっており、僕としては物足りない感じもする。彼が『シネマ』に「映画理論」を期待している(いた)ことのほうが驚きで、他方で拙著は本書を映画についての理論としては扱わないことを方法論的な指針としており、最初からすれ違っているのだからとくに言うこともないのだけど、そのすれ違った距離のなかで僕の本を手に取ってもらえたことは素直に嬉しいし、期待外れに終わったとはいえ彼に届いたのは『シネマ』という本のノードとしての多面性と蓮實重彦の貪欲さゆえであり、本を出してよかったなと思った。また気が向いたらもうちょっと真面目な応答を書こう。