日記の続き#73

名前を書こうとして「ふくおた」を打ったら「ビリヤニ」と変換されて、そのことについてツイートしようと「ビリヤニ」と打ったら今度は「表象文化論」と変換された。前々からMacの入力ソフトが変な学習をしていることは気になっていて、ここはひとつと思ってジャストシステムのATOKをインストールしてみた。入力ソフトを変えるのは初めてだ。ライブ変換じゃなくなったし、変換候補のウィンドウのデザインが違うし、確定しようとして改行してしまったりでまだ強い違和感があるが、慣れるまでしばらく使ってみよう。去年読んだトーマス・マラニーの『チャイニーズ・タイプライター』が面白くてそれから梅棹忠夫の『日本語と事務革命』や武田徹の『メディアとしてのワープロ』を読んだりした。QWERTYキーボードでローマ字入力し、それを漢字仮名交じり文に変換するという、考えてみればとても奇妙な書記システムにわれわれは適応してしまっているわけで(その意味でフリック入力は重要な抵抗行為だ)、これはなんなのかと気になったからだ。武田の本には最初のATOKの開発者のインタビューが収録されていて、当時は変換用の辞書を一から人力で作っていたらしい。それがフロッピーになって、ワープロに挿していたわけだ。その歴史に敬意を込めて今回はATOKにしてみた。ローマ字入力とフリック入力の次に来るものはなんだろうか。いまのところ音声入力技術の発達が期待されているのかもしれないが、もはや「入力」すらしなくなるかもしれないなとも思う。