日記の続き#154

日記についての理論的考察§15各回一覧

このシリーズの更新はいつぶりだろう。どういうことを書いてきたのかぜんぜん覚えていない。ここのところ寝て起きてから書くのが続いていて、後回しにするのに慣れてしまうと書きながら考えるのではなく書き終わりかたを頭のなかで再現できるまで書き始めないという感じになってしまうので、ここらで締めなおそうと思ってこの文章を書いている。

今日は起きてから溜まっていた段ボールを括って掃除機をかけて床を拭いて洗濯を回して干して、茄子とウィンナーでパスタを作って食べた。長い昼寝をして彼女がパッタイを作ってくれて、TVerでテレビ千鳥を見ながら食べた。もう夜中の2時過ぎだったがジムに行って帰ってきて、煙草を1本吸ってこの文章を書いている。

毎日機械的に書けば日々で自分を削り取っていくことができるのではないかと思っていた。書きたいときに書くのではなく、日々飛び込んでくるものに圧倒されることを前提にして、その否応のなさにおいて書くことが、自分を癒やすことにもなるだろうと。半分はそうなっていると思う。でももう半分で僕は日記で日々をコントロールする術を身につけてきてしまっている。それは書く内容の選別から、長さの波の管理や、無機質かつ僕っぽい文体への引きこもりまで、いろんなレベルで。そうしてなんというか、自分の内的生活と日々の出来事からだんだん剥離していって——ひとはそういうものを「仕事」と呼ぶのかもしれないが——「1日30分から1時間ほどかければできる何か」に日記がなっていく。それはそれでいいのかもしれないと書いてみて思った。もう5時だ。