11月13日

朝まで起きて授業の準備をするはずが、どうにも手を着ける気になれずだらだら過ごして寝室に行くともうぼんやりと日が差していた。3時間ほど寝て起きて準備をして大学に行く。講義はフーコーの「言表」概念について。語られたことからそれを背後からとりまとめる形式を取り去ったあとで、語られたことのユニットをどこに見出すのか。論理学的な命題も言語学的な文も、ある言葉を「ひとつ」のものとして見るために外在的な予断を含んでいる。言表が「ひとつ」のものになるのはその形式によってではなく、機能によってである。乱数表であれ非文法的な文であれ、「そういうものとして」機能する限りにおいて言表である。言表に形式的な定義を与えるとすれば、「最小限の蓋然性をそなえた記号列」であるという以上のことは言えず、ちょうど生成AIの仕組みのように言表が置かれるためにはそのつどの蓋然性以外の支えを必要とせず、言表はまた、発せられるたびにその蓋然性を変移させる。「完全に言語学的でもなくもっぱら物理的であるのでもない奇妙な存在」。言語学的でないのは演繹的な形式化を逃れるからであり、物理的でないのは言表がひとつの支持体に縛り付けられず、反復可能だからである。どうして日記の哲学の授業でこんな話をするのか。本当は順番が逆で、日記を通して哲学に還っているのだが、それは僕の話なのでしない。授業としてのそれらしさに偽装して話す。帰り道、丘を下っていく道で見る空が、今朝見た薄明と同じ色で暮れていた。

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カテゴリー: 日記