12月30日

美容師とか、そういう、仕事のつながりではないひとと話して、哲学って難しそうですねと言われたとき、哲学って真理とは何かとか、どう生きるべきかとか、そういうことを腕組みして考えるみたいな学問に見えるけど、基本的にはちまちました作業の積み重ねで、あなたの仕事と同じですよと、まずは言う。真理も善も目に見えないものだ。哲学は目に見えないものを問うが、つねに目に見えるものを通してそれを問う。目に見えるものの代表がこれまで書かれた文章である。だから哲学は、目に見えないものを問うだけでなく、目に見えないものと目に見えるものとをどう関係づけるかと問わねばならず、だから哲学においてはテクストの解釈が重要視される。しかし哲学のイメージは、目に見えないものを直接言うことと、テクストをちまちま読むことのあいだで分裂している。賢者か研究者か。

別の話。世界が、戦争も芸能スキャンダルも身近な業界での喧嘩も、同じ論理で動いているように見えて、こちらはこちらで、それに対する応答の論理をひとつしか持っておらず、世界が一様なのか、僕が退屈な人間なのかわからなくなっている。世界の全体性と私の特殊性をまっすぐに繋ぐ口実は安売りされており、なおさら、自分の言葉がその速度に巻き込まれないように無口に、あるいは話すにしてもこうして散文的になっていく。自分の仕事をするしかない。世界の全体性と私の特殊性の焼き切れそうな回路の外に、仕事の個別性がある。でももうずっとそう言い聞かせてきたのだ。

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カテゴリー: 日記