1月8日

頭のなかがぐるぐるして昼過ぎまでまったく眠れなかった。ツイッターを見ると松本人志の性加害疑惑、宮台真司の不倫報道と、セックスの話題ばかりだった。松本に関してはずっと好きだったし、中学高校の頃に地元の外に憧れる理由なんて彼と村上春樹くらいしかなかったので、今回のことは暗澹たる気持ちで見ている。一人暮らしを始めた14年前からテレビを見なくなって、本も小説より哲学書を読むようになって、あのときの「外」は自分にとって何だったのだろうと思う。松本の笑いは、よく言われるように「いじめ」的だと言うのだけでは片手落ちで、知識も伝統もなく、地産地消的にその場に勝手に「社会」を現出させるある種のフォーマリズムだったと思う。彼は本人も気付かないうちにずっとその「中」にいることを選んでしまっていたのだろう。だからこそ彼のツイッターはあれほどみじめに見えるのだ。一緒に「社会」をやってくれるひとがいないから。晩節を汚すとはこのことだが、人前に出るとはこういうことなのだと覚えておこうと思う。

投稿日:
カテゴリー: 日記