4月28日

ここ数日、いつものようにイセザキモールを行ったり来たりしていると、ひとりで道ばたに座って何かを喋っているおじさんのメンバーが増えている。ひとりは関内側の端の、地下街の入口に座って、ビールのロング缶を5本置いているおじさんで、2日連続行きと帰りに同じようにそこにいるのを見た。立川談志みたいなダミ声で脚をテディベアのように前に投げ出して身振り手振りで話している。しっかり骨盤が立っていないと維持できない姿勢だ。もうひとりは、モール中頃のセブンの脇にある灰皿で煙草を吸っていると、背後から話し声が聞こえてきて、電話かと思ったがどこか内容が変なのでちらっと振り返るとひとりで壁を背にしてしゃがんで喋っていた。友達と話すような口調で、神奈川静岡県のほうが東京埼玉県より実は人口が多いのだと言っている。東京埼玉県は一見街が人だらけだが、タワマンは空室だらけで、それを隠すために外に人が出ている。神奈川静岡県は山だらけに見えるが、家がたくさんあるし、東京埼玉県も上のほうは実際山だらけだ。こういう間接引用において僕はいつも口調を地の文に均すが、そこで素通りされているもののことを考える。それは素通りしませんよという身振りが嘘くさくて嫌だからだ。でも素通りできるはずもない。それにしても東京埼玉県と神奈川静岡県とは、どういう観念なのか。東京と埼玉であることと東京埼玉であることが等価になっているのだろうか。僕もずっとラジオで言葉を頭に入れていないと頭のなかがざわざわしてくるが、摂食障害と同じで、言葉の出し入れもとても危うい均衡のうえに成り立っているのだと思う。

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カテゴリー: 日記