日記の続き#29

僕もかれこれ5、6年くらい批評を書いているのでこういう印象論も許されるかなと思うのだが、「建築には批評がない」とか「現代美術は批評が機能していない」とか「文学批評は壊滅的である」とか、2年くらい前まではそういう言い方がよくされていた気がする。その後状況がよくなったわけでもなく、もはやそういうことすらあんまり言われなくなってきたというのが現状だと思う。当時は「そうか、建築に批評がないというのはたしかによくないことだな」と思って他所から何か言うと「お前は実務がわかっていない」とか「お前が建築に貢献することは一生ない」とか、こんな心無いことってあるのかという言葉を浴びせられたりして、結局批評なんて欲してないのだと気づいた。「〇〇には批評がない・足りていない」的な言説も業界人的な身振りの良心的なだけに厄介なレパートリーだと考えたほうがいい。それはつまるところ当該ジャンルをカルチャーとして涵養するということで、それに水を差すようなことを言うとジャンル内に生息している人は誰も乗ってくれないのだ(それは昨年末に参加した美術批評の座談会でも感じた)。そういうのは本当にくだらないと思うし、文化をひっくり返さなくて何が批評なんだと思う。開かれとか横断性という言葉でも足りない。ある表現ジャンルを突き詰めることとそのカルチャーが好きなことはじつはぜんぜん違うことだ。批評はその隙間に滑り込んでクライテリアを作る。