5月5日

 3日前にドンキをぶらぶらしていて、カルバンクラインの肌着の3着セットが安く売っていたので買った。白、黒、グレーのTシャツ。Sサイズでちょうどよかった。買った服はすぐ着ていちど洗濯しないと落ち着かないので、毎晩風呂上がりに1着ずつ新しいのを開けて着た。もうユニクロのTシャツにも降りてきているビッグシルエットの流行は早晩終わるだろう。2, 3年前はスウェットパンツと靴下みたいなスニーカーだった(勝手に「靴靴下化問題」と呼んでいたが、別に何を書くこともなかった)。今は溶岩みたいにボコボコしたスニーカーと大きいトップスだ。確かにいずれも民主的ではある。流行は挑発的なものでなく安心を与えるものになった。いったんお洒落の意味を、「その日着るものを気分に合わせて選ぶことができる」というところまで切り詰めるべきだと思う。この場合気分というのはたんに主観的な心情だけではなく体調から気候から出かける場所から、いろんなものを含んでいる。そうするとお洒落はとても気軽なものであると同時に難しいものに見えてくる。これもたんに民主的な定義だろうか。しかしここには表現の余地がある。表現とは気分を形にすることでそれがまた気分の素材になることだ。気軽なのはそれが必ずしも「自己表現」である必要はない——そもそもそんなものがあるのか怪しいが——からで、難しいのは気分を何かひとつの要因に帰すことはできないからだ。

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カテゴリー: 日記