5月30日

 昨日の日記に思わぬ、というか、内容にぜんぜん関係ないことでなぜか悪様に言われていてびっくりした。僕の『現代思想』批判には「アンチポリコレ論調」が漂っていてその日記のリツイートによる「シェア体制」——僕には思いつかないボキャブラリーだ——が閉鎖的な何かを示しているということなのだけど、どこにポリコレどうこうの話が書いてあって(読めばわかるが僕は「ポストモダン」ないしそれをテーマにすること自体に対する評価すらしていない)、日記のリツイートと何かの態度なりポジションなりの表明にいったいなんの関係があるのか。まあこのあたりはあれを皮肉だと思った人は真っ先に言いたくなる皮肉なんだろうと思って、とても思えないがまあ無理やり思って、放っておくとしよう。いちばん許し難かったのはそれに引っ掛けて(?)このサイトの日記や掲示板について、福尾はこれを作品だと思っていて、実存を切り売りして、掲示板によってSNSでの共感を集めているとか書かれていたことだ。むしろ作品未満のものを毎日垂れ流す辛さと隣り合わせで、それでも誰かにとっては僕の実存などとは関係なく読まれうるだろうし、それによって僕を含めた誰かの何かの素材にいつかなるかもしれないと思ってやっている。百歩譲って僕のことはともかく、掲示板に書いている人たちが共感を求めているなんて絶対言えないしそれこそポリコレ的観点からして言うべきではない。共感が欲しければSNSに書くほうがよっぽどよいし、そうじゃないものがあるからこのサイトに書いてくれているんだと思う(書いていないことを読まれがちで怖くなってきたのであえて注記するが、SNSに書かれていることはぜんぶ共感ドリブンだとは言っていない)。まあもう過ぎたことだし、原稿がふたつある。僕の憔悴には素知らぬ顔で更新される掲示板の日記に救われる気持ちがした。

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カテゴリー: 日記