8月31日

「大原則がある。物事は意味をもち始めるにあたって私のことなど必要としていない。あるいは少なくとも言えるのは、記述的な面から見ると同じことになるが、物事が私のことを必要としていたとしても、私はそれを知らないということだ。意味というのは物事の中に客観的に書き込まれる。例えば、何か疲れさせるものがある。それだけだ。この大きな丸い太陽があり、この上り坂があり、腰のくびれあたりに疲れがある。私はただわけもなくそこにいる。疲れているのは私ではない。私は何も作り出してはいない。私は何かをしようともしていない。私はこの世界に何ももたらしてはいない。私は何でもない。無でもない。まずもって無ではない。一つの表現でしかない。私が物事に私のささやかな意味を引っ掛けるのではない。対象は意味などもたない。対象がその意味なのだ。すなわちこの場合、疲れさせるもののことだ。」

これはドゥルーズが20歳のときに書いた「女性の記述」という文章からの引用で、ちくま学芸文庫の『基礎づけるとは何か』に収録されている。

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カテゴリー: 日記