日記の続き#129

八月の30年——12歳

ここのところこの文章を書くのが嫌だなあという気持ちで1日の3分の1くらいを過ごしている気がする。それでどんどん生活時間がズレ込んでいって、今はもう朝6時半だ。こんなダウナーな文章を朝読んでしまうことを思うと申し訳ないなとも思う。昨日引っ越した話をしたが、話が1年ズレていて、引っ越したのは12歳のときで、小6なのも12歳のときだった。初めての一軒家で、家族4人に加えて母方の祖父母と、彼らが飼っているマリというおとなしいシーズー犬と住むことになる。マリは僕が高校生になる頃まで生きていた。世話をしていたのはもっぱら祖父母で、接するのはみんなで晩ご飯を食べるときに居間にやってきてくるときくらいだった。マリが死んだとき、彼女は縁側に敷かれた布団に寝かせられていて、頭を撫でたりしながらばあちゃんから死んだときの様子を聞いた。お腹に水が溜まっているということなのでお腹を撫でると、たしかに普段よりぽっこりしていた。夕飯の席でばあちゃんが母にたっくんがマリのお腹を触ってくれたという話をしていた。それはお腹を触ったことについての話ではなく、そういう気持ちについての話だった。でもそれはお腹を触った話として話される。その距離を感じながら黙っていた。