日記の続き#295

Amazonを開くと『ファイト・クラブ』のパラニュークの新刊がおすすめされていて、黒嵜さんが好きな作家なのでリンクをLINEで送ったら、もう注文しているということだった。そのままチャットしながらイセザキモールを歩いて有隣堂に入るとちょうどその本があったので買う。映画に使われる悲鳴専門の録音技師の女と、行方不明になった娘をダークウェブのポルノサイトで探すうちに陰謀論に引きずり込まれる男の話らしい。映画のコーナーに佐々木敦の『映画よさようなら』という本が出ていて、2軒手前にあった年中閉店セールをしている店のことを思い出した。ベローチェに行くのは毎回賭けなのだが、2階席の壁いっぱいの窓を京浜東北線が横切るのが見たくなって入った。しかしやはり失敗で、客の3分の1は机に突っ伏して寝ており、おじいさんとおばあさんが大声で罵り合ってときおりおばあさんはテーブル越しにおじいさんの耳を引っ張ったり帽子ごと頭をつかんだりしている。とくに誰もそれを気にしている様子もない。ここは関内の会社員のくたびれ成分と、イセザキモールの老人のくたびれ成分が合流する潮目になっており、それだったら新横浜通りを渡ってカフェ・ド・クリエやルノアールまで行くか、もっと手前のコメダやドトールのほうがまだ少なくとも身の置き所というものがある。ちょうど博論本の作業は平倉さんの『シネマ2』の「叫び」解釈を使う箇所で、それがひと段落してさっき買った『インヴェンション・オブ・サウンド』を開くと映画の悲鳴の話をしている(芸大の出張講義で平倉さんがゴジラの咆哮の分析をしていたことも思い出す。そこには「戦争」が折り畳まれている)。パラニュークの本は初めて読んだが、確かに描写が黒嵜さんっぽいと思った。ひとつひとつの知覚がエッジーで、藪をかき分けるように神経質に動く体が想起される。