日記の続き#331

昨日の日記は渾身の出来だったのだがあんまり読まれていなかった。こういうことを書いたので読んでくださいと言えばいいのだが、あいかわらず日記と宣伝の相性の悪さにはどう向き合えばよいのかわからない。もうこの「日記の続き」も#365まであとひと月ほどで、そのあとどうするかと考えている。すぐにまた普通の日記を始めようかなとも思うが、最初の1年が終わったときは2ヶ月くらい休んで「続き」を始めたから、またそれくらい休んだほうがいいかなとも思う。4−5月はちょうど博論本と共訳書が追い込み時期で、新しく始まる連載も書かなきゃいけない。何が嫌で何がやりたくて、何が言い訳で何がその目的なのか。僕はそれを細かくスイッチする癖がある。それは自分の場所を決めてしまわないための防衛機制でもあるのだが、ときおりそれがあっちで借りた金をこっちで借りた金で返してを繰り返すような、来るべき返済を遠ざける身振りのようにも思える。デリダ的には負債がエクリチュールの条件なわけだけど、だからといってそれで書くのが楽になるわけでもない。