日記の続き#345

秋学期の非常勤のシラバスを書いていて、あらためて研究者というのは専門や固有名にこうも寄りかかっているものなのかと思った。というのも、「日記の哲学」というテーマで講義をすることにしたのだが、結局ドゥルーズの文学機械論やデリダの自伝論、フーコーの自己の書法といったトピックで各回の内容を埋めるしかないからだ。固有名の外で自分のやっていることの価値づけをする、それも「教育的な」価値づけをするというのは、難しいというより、研究者にとっては恐ろしいことだ。まあシラバスはシラバスなので、やり方については秋までに考えればいい。

夕方、昼寝をしようと思って布団に横になっていると電話がかかってきた。携帯の番号で、とりあえず切れるまで待って、仕事の知り合いかもしれないと思ってGmailの履歴をその番号で検索する。2年ほど前に仕事をした人らしく、起き上がってかけなおすと、僕より一世代上の、哲学者や美学者や映画監督や精神科医が集まるパーティのようなものへの誘いの電話で、ありがたいがその日はすでに予定があるので出席できないと言って反射的に断った。