日記の続き#347

なんだか体が強ばっている感じがしたので、台所で煙草を吸いながらゴルフボールよりひと回り大きい、ライムグリーンのマッサージボールを足の裏で転がした。夕飯を作るときに出したサラダ油に容器の垂直面を引き延ばして斜面を隠すように張られた光沢のあるステッカーに「食用油で初めて! 吸油量最大20%オフ」と書かれていて、食用でない油の吸油量を抑える意味なんてあるのだろうかと思った。足の裏をほぐすと体に適切な重力が帰ってきたような気がした。

布団に入ると妻がマインドフルネスの音声をかけていいかと言うのでいいよと言うと、シタールのような、しかしシタールのように金属質でない間延びした弦楽器を背景に女性の声が体の各部位の力を入れては抜くように指示する。それがひととおり済むと、あなたは夜が明ける庭のベンチに座っていて、鳥の声を聴いて潤んだ風を肌に感じています、立ち上がって花のアーチを潜ると森に出て、切り株に腰掛けて幹に寄りかかりますという「ビジュアライゼーション」が始まる。切り株からもたれかかれるくらいの距離に木が生えるものだろうかと思っていると妻の寝息が聞こえてきて、私は立ち上がって湖畔に出ると向こうに誰かが立っている。サルトルの「まなざし」の話みたいだと思ったが、それは他者ではなく未来の私で、彼は夕日でピンク色に照らされる湖面を眺めている。未来の私は来た道を帰って、またひとしきり、今度は夜になった庭で虫の声をベンチに腰掛けて聴いている。私はどこに行ってしまったのだろうか。どうしてこんな現代文学風の趣向が施されているのかと考えながら、指示通り仰向けになっていた体を横にして眠った。