6月13日

まだ11時前だが明日は京都の日で早起きなので書いておく。ふたつの喫茶店で多動症的に作業をする。プロットを作り、書き終わった箇所を読み返し、途中で思いついた別の原稿のアイデアをメモし、本に付箋を貼り、忘れていたメールを返し、アマゾンで本を買い、いつか何かになりそうだと思ったアイデアをツイートする。「愚かさbêtiseとは「思考することを知らない」ことであり、白痴idiotとは「知らないことを思考する」あるいは「知っているのに思考しない」ことであるとして、ポスト構造主義的な動物論(bêtiseは動物bêteの派生語)の向こうを張って白痴に賭ける、とするなら」。ここではもうこれだけ採れれば十分だと思って食器を返して店を出る。歩きながらさらに「「欺かれぬ者は彷徨うles non-dupes errent」というラカンの箴言も思い出す(動物は欺かれるから彷徨わない)。これは「父の名Nom-du-père」の駄洒落になっていて、どちらもノンデュペールと読む」、とさっきのツイートにぶら下げてつぶやく。思考と知が分離した存在としての白痴=人間。知を想定された主体を前に彷徨う。動物は彷徨わないからルアーにかかる。かつて「ポシブル、パサブル」という論考でデコイとルアーという対概念を使ったことを思い出したり、東浩紀の「想像界と動物的通路」はこの話に繋がりそうな議論だったような気がすると考えたりしながら大戸屋でからあげ定食を食べた。レジに伝票を持っていくと「おーてーやポイントカードはお持ちでしょうか」と聞かれ、「ないです」と言ったあとで「おーてーや」が「大戸屋」であることに気がついた。関内の高架をくぐってカフェドクリエに移るために信号を待っていると、子猫の声が聞こえた。目の前に停まったバンに男が靴箱よりひと回り大きいほどの白い段ボール箱を積んでいて、地面に重なった箱のいくつかがかすかに揺れ、その中から猫の声が聞こえる。手前にある小さなペットショップに「出荷」されるのだろうか。いや、バンに積み込んでいるのだから、そこから「回収」されているのだろうか。箱に開けられた穴から中に敷かれた新聞紙が見える。屈む男の腰で引っ張られたベルトが不格好に撓んでいる。青になったので信号を渡った。愚かにも。

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カテゴリー: 日記