8月24日

夜、来週の『存在論的、郵便的』刊行25周年のシンポジウムで発表する多賀宮さん(大畑さん)のリハーサルをZOOMで聴く。黒嵜さんとひふみさんも参加するはずだったのだが、黒嵜さんはどこかから帰る途中で渋滞に捕まり、ひふみさんは体調を崩してしまって結局ひとりで聴くことになった。コメントと世間話を行ったり来たりしながら2時間ほど喋る。多賀宮さんが「言葉と物」について、固有名(何を言ってもアテンションがつく)か確定記述(どういう属性・クラスタかで判断される)でしか言葉の価値が考えられない息苦しさを感じていたので励まされたと言ってくれる。ふと、いま「男の友情」ほどどうでもよく、有害だとさえ思われているものもないが、僕は最近どうしてこんなに「遊ぶ」ということが難しいのかと悩んでいると話す。みんなツイッターもやめていくし、一緒に何か作ったりするのにも、だんだん互いに込み入った感情的な負荷が乗っかってくるようになった。彼がでもこれは遊びじゃないですかと言って、そうですね、こういうのは楽しいよと言った。

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カテゴリー: 日記