8月28日

カフェドクリエとドトールを渡り歩いて「言葉と物」第5回の原稿を書く。いつもはエディタにそのまま書いているのだが、今回はworkflowyでしっかりプロットを立てていて、しかし結局それがほとんど原稿のようになっている。workflowyは文章を書くためのものとして見ると、そのままエディタとしても使えてしまうシンプルな操作感も手伝って、項と散文のあいだのようなもの、というより項でも散文でもいいものを連ねられる気軽さがある。いや、こう言ったほうがいいかもしれない。「項」的なポジショナリティと、「文」的な推進力を自然に交差させて使うことができて、それは実は口語的な言葉のゆるさに似ており、workflowyは音声なき音声入力的なものに適しているのだ、と。実際の作業がどう進んでいるかと考えると、まずある規模(結果として数段落ぶんになる)のトピックを立項する。そこにはたんなる論述対象の宣言ではない「言いたいこと」が含まれている必要がある。以下の項でそれを分節していく。分節していくうちに文っぽいものになっていく。そのあいだに思いついたことをそのブロックの下に書きためていく。当該のブロックが終わったらたまったメモから次の大トピックになるものを選び出し…… というのを繰り返す。たしかにこれは人と喋るときの頭の使い方に似ている。ある種の自己対話だ。「項」が相手に対するキューで、相手が「文」として喋っているあいだに思いついたことを頭のなかに保持しつつ、しかしあくまでいま話されているものに適切な相づちを返し、よいところで次のキューを出し、という。つまり、大事なのはいかに相手に喋らせるかであって、僕は書かなくていいわけだ。

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カテゴリー: 日記