9月7日

宿を出てビーチのジョナサンでパフェを食べて帰る。直前に予約した新幹線に飛び乗って、ちょうど来た地下鉄に飛び乗るとあっというまに家に着いた。熱海まで電車に乗っている時間だけなら40分ほどだ。

『訂正可能性の哲学』を読み進める。内容よりいたって迷いのない文体で書かれていることに面食らう。東浩紀といえば、進んでは戻って別の道を探し、逐一そのことを読者にエクスキューズしながら書くのに独特のドライブ感がある書き手だと思っていたのだが、今回はなにか吹っ切れたようなところがある。東浩紀でさえこうなるのに25年かかるのだから、僕はまだまだ迷っていていいのだと勝手に励まされたような気持ちになる。

ところどころ、子供はそんなに、鬼ごっこがケイドロになりケイドロがかくれんぼになるような放埒な遊びを遊ぶものだろうか、とか、家族の拡張性について僕自身がいちばんびっくりしたのは結婚して「親が増えた」ことだなとか、間違いとランダムネスはどうして同一視できるのか、とか、感想の種のようなものが浮かぶ。ページに書き込むようなことでもなく、読書ノートもつけないのでどこに書けばいいのかわからず、ここに書くことにした。

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カテゴリー: 日記