9月27日

秋学期が始まって2ヶ月ぶりの京都。前の夜に予約をしたのだが新幹線の席はほとんど埋まっていて、3列席の真ん中だった。3限は自分の授業で、4限は他のふたりの講師と一緒にやる授業。3限のほうは春と同じく書いた文章をもってきてもらう授業にする。学校のなかで行われる「研究発表」系の授業で身につく技術と最終的なアウトプットとしての修論とのあいだには大きなギャップがある。しかも前者の技術はあくまで「下限」を上げるためのもので、学校を出たら査読にせよ何にせよ面白い順に上から評価されるのだから自身の能力の「上限」を上げなければならないが、それは基本的に個人の努力に委ねられている。そして人文系の論文の面白さとは文章の面白さであり、文章の面白さは研究対象——それは最終的には具体的な物質なりテクストなりである——との関わり方から生まれる。だから自分がすごいと思う論文のすごさが伝わるレビューを2000字で書いてきてもらう。あるいは修論の原稿の一部でもいい。

こういう授業をするのは平倉さんの影響だと思う。彼の演習系の授業はどれもアンチ・カリキュラム的というか、個々人は個々人の問題をもっており、その向き合い方はまだ誰も知らないという前提でなされるので、カリキュラムだと思って来た人は面食らってしまう。でもそれは本当のことだし、とくに院生の場合学校を出てから面食らっても遅い。

夜に家についてまずアイスコーヒーを作りながら、酒を飲むひとは下戸の日常をどのように思い描くのだろうかと思う。

ドラフトは23770字(前日比+830)。往復4時間の新幹線で書けるかと思ったけどそううまくはいかなかった。

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カテゴリー: 日記