11月15日

何を着ればいいのかわからずシャツの上にダウンジャケットを羽織って出かけたが、それでちょうどよかった。朝ご飯を買って新幹線に乗る。2コマ授業をして、京都駅にとって返して伊勢丹の地下で弁当を買って新幹線に乗る。哲学研究の学生にはあなたが読めるようになり、あなたが読んでいるようにこの場にいるみんなが読めるように書ければそれで十分ですと言い、ゲーム研究の学生には細かくて面白いことを集めてくださいと言った。テーマやジャンルや新規性のような目に見えないものを相手にしだすと研究は迷走する。でもそれは社交のツール以上でも以下でもない。たとえば「文学の本質」のような目に見えないものを言いたい場合、それがたんなる辞書的な定義に堕さないためには、限定された作品の特定の読み方によって導かれるものとして言うことになるわけで、それは正しさよりも「のるかそるか」を突きつけるパフォーマンスとしてやらざるをえない。でもそれはずっとあとの、あるいはずっと前にもう終わっている話だ。

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カテゴリー: 日記