12月12日

おいしい水炊きを作ってみたくて、YouTubeで動画を検索する。最初に見たのは日本料理屋のシェフが具材をフライパンで焼いてから鍋に入れるレシピで、スープはチューブの創味シャンタンを使っていて退屈だった。そういうことではなく、出来合いの出汁にポン酢が合わさったあの味ではない鍋が食べてみたいのだ。次に料理研究家のリュウジが博多で食べたものをモデルにした動画を見て、そちらを作ってみることにした。手羽先と手羽元を500グラムずつ買ってきて、大きなフライパンに並べ洗っていない米をひとつかみとにんにくと一緒に水から煮る。スープがしっかり沸き立つ火力で対流を起こして、鶏のゼラチンと米のでんぷんがよく回るようにする。15分ごとに減ったぶんの水をつぎ足しながら1時間煮る。ひとくち味見してみて、逆にこれより旨い鶏の出汁がありえるのかと思う。小さじ1杯の塩と味の素(グルタミン酸要員らしい。リュウジは怒る人もいるだろうけど、と前置きして5振り加えていた)を少し加える。野菜はネギとキャベツだけ。ちょっと塩を振って食べてもいいし、酢醤油を垂らして食べてもいい。妻はクリスマスはこれでいいと言ってくれた。

ツイッターがXになって、インプレッションによる収益を稼ぐbotが跋扈しており、数百単位のいいねがついたツイートにすら自動生成された文や絵文字だけのリプライがいくつも連なっている。ヒト・シュタイエルはすでにスパムこそが「マジョリティ」なのだと言っていたが(いや、たしか、僕がかつて書いた文章で彼女の議論をそう読み替えたのだ)、広義の「原稿料」として見ても、少なくともネットで完結するテクストに関してはいずれスパムが稼ぐ額の割合が人間の文章を上回るのかもしれない。AIが小説を書けるかというのは無益な問いで、スパムも「原稿」に含めたときにどういう経済が浮かび上がってくるかという問いのほうが面白いと思う。そういうbotによる「美しい、すべてを手に入れたい、子供たちはそれを楽しみにしています」というツイートを見かけて、しばらく考えた。

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カテゴリー: 日記