1月2日

註ひとつを書くためにラリュエルの『差異の哲学』とRocco Gangleが書いた解説書を一日中読んでいて、それで一日が終わってしまった。いろいろ思うところはあるが、ラリュエルのドゥルーズ批判はおおむね正しく、しかもその「おおむねさ」自体が哲学を「ジェネリック」なものとして扱う科学としての「非−哲学」というプロジェクトによって正当化されている。したがって批判に応えることは局所的にはイージーだが、第一にその局所性から別のシステムを作ること、第二にそのシステムをもってラリュエルに再応答することを考えると、必要な手数のわりに得られるところが少ない。そう考えているうちに「問題」から逸れて些事にはまりこんでいく。問題がはっきりすれば、応答はひと言ふた言で済むはずである。そしてこの場合、問題は本文のほうで展開しており、それ自体が応答なのだから、註は添えるだけでいいのだと思い、あっさりした再反論を書いた。ラリュエルはドゥルーズを「ザ・哲学者」だと言って揶揄しているが、それ自体がドゥルーズがスピノザを「哲学のキリスト」と呼んで絶対視する身振りを反復しているし、ドゥルーズはむしろ哲学者がつねに「ひとりの哲学者」である、その不定冠詞性と哲学することの結びつきを言ってもいる。哲学がひとつの全体でないと困るのはラリュエルのほうなのだ。

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カテゴリー: 日記