1月14日

どこの家にもその家だけの言葉というのがあると思うが、わが家ではたとえば、部屋が散らかっているのを「モノタロウになっとるね」と言ったり、アマゾンの箱がたまっているときに「またダンボールワンや」と言ったりする。その小さな痛快さは、それが合い言葉であることの閉鎖性と、商標でもあるその名の無場所性のギャップにあるのだと思う。モノタロウやダンボールワンは一方で家の外の社会にあり、他方で家という社会のなかのひとつのミニチュアとなる。われわれはほとんどの時間ふたりでいるときふたりでしかいないので、そうした言葉や、散歩中に見かける犬や猫などに、ある種の回転扉としての機能を託す。

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カテゴリー: 日記