1月15日

日記の授業。デリダの「プラトンのパルマケイアー」の話がしたいのだが、ドゥルーズやフーコーと違ってそのひとの書いたものだけから理論を抽出するということが難しいので『パイドロス』の解説をまずします、と話す。恋と言葉というふたつのテーマが話されていて、言葉のほうの話がしたいのだが、今日は恋のほうの話までしか進みません。二重に主目的から遠ざかってはいるが、これだけで面白い話だと思います。リュシアスの「恋をしている者は狂っているので自分に恋をしていない者にこそ身をまかせるべきだ」という、「最古の恋愛工学」とでも言うべき賢しらな主張に、ソクラテスはどう応答するのか。それを見る前に、ちょっと各自で自分ならどう応答するか考えてみてください。本当の愛はそんな自分勝手なものではないと言うでしょうか。僕がリュシアスなら、あなたが「本当の愛」と呼んでいるものは、僕が推奨しているものと何が違うのかと返すでしょう。あるいは、そんな口説き文句が通用するわけがないと、プラクティカルな観点から反論するでしょうか。僕がリュシアスなら、あなたは恋が「技術」であることを認めるのですね、僕も同じですと返すでしょう。あるいはべつに、リュシアスの肩をもってもいいわけです。彼はある意味アナーキストで、今風に言えば「本当の愛」なんて結局結婚して子供を作ってというイデオロギーの道具なのであって、互いを縛らず割り切った後腐れのない関係を場合によってはポリアモリー的にやっていくのがいいんだという立場だとも言えます。さて、ソクラテスはどのようにして恋する権利を護るのでしょうか。

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カテゴリー: 日記