4月15日

連載の原稿のためにダナ・ハラウェイ『伴侶種宣言』を読む。いま出ている回は「作品」がテーマで、こないだ書いたその次の回は「理論」で、対になっている。そのまた次とその次はそれぞれ「サイボーグ」と「ゾンビ」の対にしようと考えている。ひとつめの対がアクチュアルな社会を扱ったものだとすると、ふたつめの対はそこから立ち上げるべき人間像みたいなものを扱うことになるのだと思う。これから書くものについて言うと、いつかの日記に書いた、手押し車に乗せられた犬が散歩しているのを見て、その犬を「サイボーグ」だと言うのは酷いことではないかと思ったというエピソードが発想のもとになっている。自然と文化、生体と機械のハイブリッドをそこここに見出して人間中心主義的なカテゴリーを攪乱するANT的な実践では掬いきれない、尊厳のようなものがあるのではないか。しかし、幸か不幸か、「サイボーグ宣言」は——初出が1985年なのもあってか——大時代的な仰々しさがあるのに対して、『伴侶種宣言』は思弁的エッセイとしてちょっと追いつけないくらいの軽やかさがあって、読みながら感動した。これもいつかの日記に感想を書いたが、ヴァージニア・ウルフの『フラッシュ』と並べられるべき作品だ。これでは僕のいつものやり口は通用しない。そう思ったらそれを、こんなふうに、素直に書けばいいのだということももうわかっている。それで楽になるわけではないことも。

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カテゴリー: 日記