4月25日

朝起きて、大和田俊と2階に上がると、曽根さんとご両親がテラスでくつろいでいた。挨拶をして、曽根さんがメキシコでアステカの神話に出会って、それが教養というかたちではキリスト教化された現地の住民に知られていないことに気づいてル・クレジオがまとめたミチョアカン・レポートの各言語の翻訳をそろえた私設図書館を作り、葦を編む現地の工芸を使って住民と一緒に作品を作り始めた話を聞いた。アメリカで作品を売って、黄金を取り返す。それにかかる10年という時間は、どういう感じなんですかと聞くと、だんだん太陽が速くなって、起きたらピューッ!と飛んで行ってしまうのだ、本を書くのだってそうだろうと言われた。たしかにドゥルーズを研究しはじめてもう10年だし、そういうものかもしれない。キッチンを囲むカウンターのダイニングでお母さんが作ってくださった朝ご飯を食べて、またテラスでおしゃべりした。駅前でラーメンを食べて、大和田さんと3人でタクシーに乗る。コレクターの家に行って、アントワープのギャラリストが持ってきた曽根さんの作品を渡すのに立ち会うらしい。アントワープに呼べるようふたりに僕を紹介したいということだが、なんだかよくわからない。国立競技場のすぐ隣に建っているタワーマンションに着いて、スーツを着た係員に導かれて停車し、壁みたいな扉のインターホンを押してエントランスに入ると、受付がある。普通壁は壁で、扉がガラスだが、壁がじゅうぶんガラスなので、扉は壁みたいなのだ。曽根さんが名簿に名前を書いて、部屋に電話をかけ、カードキーでエレベーターを開けてもらう。分厚い絨毯が敷かれた間接照明だけの廊下を抜けて部屋に上がると、正面の景色が上から競技場をのぞき込み、御苑の森を挟んで新宿の高層ビル群と向かい合っている。いやはや。部屋はテラスまで作品だらけで、白いタイルの床には3人の子供のためのおもちゃが散らばっている。コレクターはトレーダーで、仕事部屋には「約束の凝集」展で見た曽根さんと永田さんの共作の大理石で作ったパソコンがあった。たまたま彼が『眼がスクリーンになるとき』を読んでくれていて、本は出しておくものだなと思った。曽根さんと20年の付き合いのギャラリストのトミーとアシスタントが到着して作品を置いて眺めていると曽根さんのマネージャーの望月さんが来て、朝まで岩手にいた慶野さんも来た。曽根さんとトミーと煙草を吸いに出て、トミーが君が焚き火の前でレクチャーをする動画を見たと話しかけてくれた。なんでもやっておくものだ。スタバに入ったのに誰も財布を持っていなくて、僕がPayPayでいちばん大きいアイスティーをふたりにおごることになった。サイズの名前がベンティで、初めて聞いた。みんなで寿司を食べに出たが、僕はそのまま帰った。

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カテゴリー: 日記