5月2日

予約していた鍼灸院に。前に行っていた横浜駅近くとは別のところで、中国人の先生がひとりでやっているところに乗り換えることにした。日本のものより刺激が強いらしく、それも気になるし、いや、それもそうなのだが、何かを決めるときの動機はもっと複雑と言えば複雑で、単純と言えば単純で、もう日記もあとひと月で終わるが、僕はそうした行為の実状をずっと逸し続けてきたような、あるいは、それを逸して散文の貧しさのうちに均してしまうことの自傷的な愉しみに淫してきたような、いや、それこそが書かれる自分と書いている自分のあいだのパテーションとなって自分を保護してくれるような、とにかくそういうぐちゃっとした何かのなかで、鍼を打ちに来た。待っているあいだ置かれていた本のうちからファスティングの本を開くと、カロリー信仰、肉食信仰への批判とセットになった、お決まりの医療産業陰謀論が展開されており、まあ生き方が医学に包摂できるわけもないのだから、それをそれぞれの意見のレベルで考えるか、あるいは生体そのもののありようのレベルで考えるか、そのふたつのレベルは否も応もなく循環するわけで、結局のところ要素還元主義とホーリズムのふたつに出たり入ったりする、しかしその出入り自体はメタ化されないようなものを「内在——ひとつの生」として考えるしかないのだ。先生は肌にアトピーの面影があり、ちょっと中国語訛りで、僕を立たせて後ろから首から足首まで触って確かめる。仰向けにして腹を押して、腸が疲れているが、お酒は飲まないんですよねと聴く。はいと言いながら、コーヒーの飲み過ぎかなと思う。ふつうはうつ伏せの治療がメインだが、うちは内臓から整えるので仰向けの治療が長いのだと話す。鍼が打たれるたびに弦を弾くように線としてそのあたりが響いて、もう効きそうだなと思う。ひととおり打つと、みぞおちのうえに湯たんぽのようなものを置いて、15分ほど目を閉じて深呼吸してくださいと言って出て行った。寝るのかなと思ったがずっと起きていて、うつ伏せになって同じくしばらく鍼を打ったまま置かれて、起き上がると右目だけ焦点が合わなくなっていたが、枕が当たっていたからかと思い息もしやすくなって視界もはっきりしますと言って院を出た。隣の中華料理屋で麻婆豆腐定食を頼むと甜麺醤と花椒が強すぎて肉と豆腐の味が潰れており、ちょっと残念な気持ちでイセザキモールを帰った。歩いていると右目の焦点が合い始めて、視力がぐっと回復した。たぶん相当疲れていて、鍼で戻ったその疲労に眼の筋肉が追いついてきたのだ。

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カテゴリー: 日記