2月25日

 ふだんやっているAPEXというゲームの実況を、ふだんよく見ている弟者というゲーム実況配信者がやっていたので見た。ゲームをしたり、ゲーム実況を流しながら細々したことを片付けたり家事をしたりしている。すっかり(特に映像の)始めと終わりがきちっとあって全部見られることを想定している「コンテンツ」というものを見なくなった。映画もそうだし、サブスクのドラマとかでさえ2時間なり40分なりを画面の前に座って見るということが、なんだか生活に関係のないことになってきた。いつ見ていつやめてもいいものに囲まれていると落ち着く。数年前実家に帰ったときに親が家でずっとテレビを見ていて、この人たちは大河ドラマ以外に作品めいたものにふだんの生活でほとんど触れることがないんじゃないかと思い、アマゾンのFireスティックを買ってテレビに刺して操作方法を教えて、自分で選べるしこっちからなんか見た方がいいよと言った。おそらくもうぜんぜん使ってないだろう。大きなお世話だったと思う。仕事をしているときに仕事以外できず、家事をしているときに家事以外できないのに、やっと終わったそれらの後で何かを選択し、それを見ているときまで見る以外できないというのはかなりキツいことだろう。なんとなく見ながら喋ったりお茶を飲んだり居眠りしたりできなければならない。テレビがいちばんいい。YouTubeは実家の居間には向かないだろう。何かをしながら別の何かをする方がひとは落ち着くんだと思うし、それが生活というものの基調にあるんだと思う。反対に、仕事であれ家事であれ読書であれゲームであれ映画であれ、何かに没頭するには生活への憎悪が必要なんだろう。

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カテゴリー: 日記