日記の続き#140

八月の30年——23歳

夏にメルボルンのスリランカ人の家に1ヶ月間ホームステイした。とはいえこちらの夏は向こうの冬なのでずっと寒く、遠浅の広いビーチに行っても海を眺めることしかできなかった。この話はいままでしないようにしていたのだが、修士のときに文学研究科と並行して、阪大内のリーディング大学院の「超域イノベーションプログラム」というものに所属していた(名前がダサいのと、サボりすぎて1年でクビになったので言いたくなかったのだ)。リーディングはRのリードじゃなくてLのリードで、つまり次世代のリーダーを養成しようという文科省肝いりのプロジェクトで、いくつかの大学に設置された特殊な学科(?)だ。そこに所属しているだけで月に20万円の「奨励費」がもらえるということで、読書会でお世話になっていた現代思想研究室の先輩に紹介されて試験を受けたら通って、それで進学を決めた。それがなかったら大学院には行かなかっただろう。それで、そのカリキュラムのひとつに同期のみんなでメルボルンの語学学校に通うというのがあって、街の真ん中にある自分らより年下の中国人・韓国人留学生ばかりの小さな学校に通っていた。毎日ココナッツミルクの入ったスリランカカレーを食べていた。「フラットホワイト」とか「ロングブラック」とかしゃらくさいメニューがあるサードウェーブ系のコーヒースタンドがたくさんあった。家のそばに6車線のバカでかい道路があって、向かいにあるマックに行くのもひと苦労だった。まだSIMフリーのスマホが普及しておらず、小さなノキアのガラケーを買って持って行った。南極海に面する海岸に野生のペンギンの群れが陸に上がってくるのを見るツアーに行って、何千ものペンギンが陸の寝床に歩いて行くのを見た。