日記の続き#341

やる気はなくても本は読める。『ゆるく考える』を読んだ流れで初めて東の『クォンタム・ファミリーズ』を読んで、デリダの『絵葉書』に入った「思弁する:「フロイト」について」を読んだ流れで『パピエ・マシン』の「タイプライターのリボン」を読んだ。こんど始まる『存在論的、郵便的』を1年かけて読む講読、連載で取り組もうと思っている言語論、そして来年あたりから書こうと思っている日記論、だいたいこの3つくらいの仕事が念頭にあって読んでいる。線を引きページを折るどの本のどこがどういうアウトプットに繋がるかはわからない。たぶん僕はいま初めて、いずれも息の長い複数の仕事を同時に進めるということをやっている。いや、まだ具体的にはなんにも進んでいないので「予期している」というほうが正確だろう。ともかく頭の使い方が変わってきたような感じがする。あみだくじのようにインプットのスロットとアウトプットのスロットがそれぞれ複数あって、そのあいだのブラックボックスを育てているのかもしれない。他方に、博論本のことだが、急務は急務としてある。急務と予期の両立についてはやる気の波にまかせるより他にまだなんの手立てもない。