日記の続き#361

日記ワークショップ4回目。コーヒーをどこで手に入れるか考えるのが面倒なので、家で水筒に入れて持っていった。下北沢で降りると、駅前のスペースでいくつかの古着屋が出店を出していて、歩いてみるとスピーカーから坂本慎太郎を流している店があって恥ずかしくなってしまった。ゆらゆら帝国も坂本慎太郎も好きだが、下北沢の日曜の古着屋の出店から聞こえるとこんなに恥ずかしくなる音楽もない。

夜中、また寝付けず布団から起き出して、そういえばと思って国会図書館のサイトから『ホトトギス』のスキャン画像を閲覧した。面倒で先延ばしにしていたがとても便利なサービスだ。初めて日記を募集したときの要項には次のように書かれている(第3巻第10号、1900年)。

一、各日多少の記事あるべき事。
一、記事は、気象、公事、私事、見聞事項、又はそれに関する連想議論等凡て其日に起こりたるものに限る事。
一、事実ならぬ事を事実の如く記すべからざる事。
一、文体は随意の事。
一、詩歌俳句等を用うるも妨げざる事。

足すことも引くこともあまりない。初めて募集日記が掲載された号は3年間伊予で制作していた『ホトトギス』を一念発起して東京で発行した号(第4巻第1号)で、子規の巻頭言も気合が入っている。いわく、東京の雑誌は「議論、批評、史伝、小説、詩歌、雑録などと一々欄を設けて、しかも毎号其欄には何か埋めて」あり、体裁を尊ぶと見えるが、われわれは田舎者なのでそうした体裁にはこだわっていられない。東京の雑誌は学校で『ホトトギス』は私塾だと言っている。それで半分くらいのページが募集した日記、俳句、挿絵で埋まっているのだから、相当にパンクだ。