「研究内容およびその社会へのインパクトの説明」、あるいはなぜ私は日記を書くか

以下はとある書類に書いた文章で、ここ2日の日記を使って推敲したものです。考えてみれば自分のやっていること全般についてあらためて説明する機会もなかなかなく、書いてみて自分自身そうだったのかと気付いた点もあり、せっかくなので以下に公開します。

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私は現代フランスの哲学を専門としており、とりわけジル・ドゥルーズの哲学を、彼の哲学実践と芸術との関係という観点から研究してきました。ドゥルーズは「リゾーム」や「ノマド」、あるいは「器官なき身体」といった概念を提唱したことで知られる哲学者ですが、これらはどれもカフカやアルトー、画家のフランシス・ベーコンといった作家たちについての批評のなかで生み出されました。つまり、彼が自身の哲学を彫琢するにあたって、芸術はきわめて重要な役割を果たしており、ここまで芸術の存在が哲学の構築に強く影響している哲学者を私は他に知りません。

芸術を扱う哲学は「美学」と呼ばれていますが、ここで私はドゥルーズの「批評」と美学一般を区別してみたいと思います。というのも、美学が「芸術とは何か」、「美とは何か」といったすでに与えられた問いに応答するために哲学的理論を駆使し、その事例としてあれこれの芸術作品を包摂するのに対して、ドゥルーズ的な批評は、それぞれに特異な作品が応答している固有の問題を探すためにこそ、芸術作品や芸術家に向き合うからです。美学においては哲学者はあらかじめ抱いている問いに適合する作品を探すことが求められ、批評においては作品との出会いによって初めて惹起される問いを捕まえることが求められます。

私のドゥルーズ研究に独自性があるとすれば、ドゥルーズが芸術一般について、あるいは特定の作家なり作品なりについて「何を」言っているかという観点ではなく、彼の芸術論が「どのように」作られ、それが狭い意味での彼の哲学とどのような関係を形作っているかという観点から研究している点だと思います。

ドゥルーズにとって芸術が哲学を適用したり応用したりする対象ではなく、むしろ哲学をそのつど作り替えることを強いるような、それ自体 “critical” な存在であるとすれば、問われるべきはそのような他律的な哲学とは何なのか、哲学史のなかでそれがどのような意味で際立ったものであるのかということです。哲学者があれこれの作品から「影響を受ける」というのはよく聞く言い回しですが、その実相を哲学のなかで明確にするということは案外なされて来ませんでした。

こうした問題意識のなかで、私は早い段階から、狭義の哲学研究に収まらない、批評というフィールドでも活動してきました。私はそれを研究の「アウトリーチ」とは呼びたくありません。なぜならアウトリーチには、啓蒙という口実のもとでの専門家と非専門家の分断とともに、応用という口実のもとでの非哲学的領域の哲学への包摂が含意されているように思われるからです。もちろん哲学には専門性があり、それを用いて他領域のことを説明することが必要な場合もあるでしょうが、私が批判的に見ているのは、専門性・必要性が哲学とその外との関係のありかたを考えないで済ませるための理由にすり替わってしまうことで、「権威」とはそのすり替えのことなのだと思います。

美学への批判、哲学的理論の適用への批判、実践的・制度的なレベルでの哲学の自閉性への批判、これらは私の活動において、学術的な論文から文芸誌等での批評やエッセイまでを含めて一貫しています。そしてそれは「哲学の他者関係」を考えるためのものであると同時に、「他者関係一般」を考える実践でもあります。

柄谷行人の『探求』以降、他者論は日本の批評の中心的なテーマのひとつとなっています。それはもちろんレヴィナスに由来するフランス哲学における他者論の流行を受けてのことでもあるのですが、柄谷、そして彼を批判的に引き継ぐ東浩紀においてより顕著なように、彼らはたんに抽象的に他者を論じるだけでなく、出版や組織の立ち上げを通して、社会的・政治的なレベルでの「公共性」として他者関係を実験する活動を繰り広げています。たとえば東は『観光客の哲学』において、一見軽薄な観光というトピックから出発して、とりわけ現代思想においていきおい絶対化・神秘化されてしまうきらいのある他者論を批判しつつ、軽薄であることが可能にする開かれを論じました。そしてそれは、彼が自身の会社ゲンロンで企画しているチェルノブイリ原発ツアーなどの活動と不可分であり、それはおよそ学術的研究のアウトリーチとはかけ離れているものです。

研究の話に折り返すと、私がドゥルーズの哲学を芸術との関係という観点から考察しているのは、そもそもこうした、日本において「批評」と呼ばれている動向を受けてのことです。あらためてそのプロジェクトを要約すると、哲学と芸術の異質性を前提としつつ(つまり、両者のあいだに予定調和や共通の土台を想定せず)、いかにして哲学は芸術との出会いをおのれの変化の契機とするのか(これは具体的には新たな哲学的概念の創造に相当します)ということです。これをさらに一般的な問いとしてパラフレーズすると、自律的であるということを閉鎖的であるということにせず、他者に開かれているということを包摂の口実にしないということになります。

これは私のあらゆるジャンルの文章に一貫しているスタンスであり、かえって具体的にどこがどうだと示すのが難しいのですが、ここではそのうちでももっとも非学術的で、もっとも非社会的にも見える「日記」という形式で書きながら考えてきたこと、実践してきたことを通して説明してみようと思います。

私は自分のウェブサイトで毎日日記を書いていて、2022年には1年分の日記をまとめた『日記〈私家版〉』を自主制作して刊行しました。これはおよそ学術的な「業績」にはカウントされないような活動ですが、定量的なものについては「業績一覧」から判断していただくとして、ここではその外にあるものについて書いておきます。

さて、われわれにとっては日記とは、まず、小学校で書かされるものだと思います。国語教育における日記の導入は、明治期に近代的な小学校の教育制度が構築されたときにすでになされていました。これは当時の言文一致的な言語政策とひとつながりになっており、さらにそれは、文学における写実主義的なイデオロギーとも踵を接しています。つまり、日記は制度と表現の交差点にあるのであり、私はこの近代以降の日記のありかたについて、『土佐日記』や『蜻蛉日記』のような古典的な日記文学からさしあたり切り離して理解する必要があると考えています。日記は一方で教師が生徒の学校の外での素行を監視する装置であり、他方で正岡子規が雑誌『ホトトギス』に読者から募集した日記を掲載していたように、新たな文学的表現の実験の場になりました。

毎日、その日の日付がタイトルになった日記をウェブで公開すること。こうしたことを続けるなかでだんだん明確になってきたことのひとつは、「書くべきのことの少なさ」こそが、新しい表現、新しい思考を呼び込むということです。

どういうことでしょうか。SNSにおけるハッシュタグ政治に顕著なように、われわれが生きる世界には「言うべきこと」が溢れており、そのフォーマットも無料で即座に手に入ります。しかしこのことは、一方でマイノリティの権利擁護などに寄与すると同時に、トランプ現象のようなナショナリスティックな反動も呼び起こし、両者の分断を強めているように思われます。これほど人々が「言うべきこと」に駆り立てられ、それによってそれぞれの態度が強固になるという循環に巻き込まれる時代はいままでなかったのではないでしょうか。

それに対して、日記を書くということは、毎日締め切りが来る原稿を抱えているようなものであり、恒常的な「ネタ切れ」の状況にあると言えます。私はこれを「イベントレスネス」という概念で呼んでいるのですが、この効用のひとつは、言うべきことの外で他者と出会う可能性を開くことにあります。それは書かれる内容においてもそうであり、また、サイト内に作成した「日記掲示板」に1200件以上の日記が集まっているように、日記には非コミュニカティブな公共性を開く力があるという意味でもそうなのです。

ドゥルーズはすでに晩年に、自分は「もはや言うべきことが何もないという幸福」に向けて書いているのだと言っていました。その意味で日記は私なりのドゥルーズ的な実践のひとつの事例です。しかし日記も批評も、間違いなく私にとって理論的な更新の場でもあり、結局のところ何が理論で何がその応用なのかと問う意味が消失するような地点に向けて私は活動しているのだと思います。そして言うまでもなく、これはきわめて政治的な活動であるとも思います。なぜならそれは、もっとも広い意味で「言葉の力」を捉えなおす実践だからです。