日記〈私家版〉PDF版発売のお知らせ

(写真:竹久直樹)

BOOTHのショップで『日記〈私家版〉』のPDFデータの販売を開始しました。価格は税込み1000円です。

先月、本サイトで書いた日記をまとめた『日記〈私家版〉』を365部限定で発売しましたが、おかげさまでひと月ほどで完売となりました。

これから書店でのトークイベントや選書フェアも控えており、肝心の本がないのはどうかなとも思いますし、今後興味をもってくれたひとに渡せるものがあったほうがいいだろうと思い、PDFデータを販売することにしました。

本文を読むだけならこのサイトで読めるのですが、横長の1ページに1日ずつ割り振ったデザインは、タブレットでスワイプしながら読むのにうってつけだと思います(8インチ以上の画面で閲覧することを推奨します)。

注目記事

投稿日:
カテゴリー: お知らせ

【追記あり】布施琳太郎氏および美術手帖への抗議

【6月25日追記】
抗議文の投稿から1日経ち、 布施氏から訂正・謝罪をいただきました(リンク)。誠実な内容であると感じましたので、抗議はこの限りといたします。今後あらためてこのたびの議論のもともとの内容であった布施氏の作品・展示や私からの批判について、お互い批判しあう可能性を排除せずにフェアに議論する機会があれば私としても応じたいと考えております。
私自身、今回のことを通して、「議論」や「対話」といったそれ自体ニュートラルな響きをもった実践を可能にする互いの信頼に基づいた場は、非常に脆いものだということをあらためて意識させられました。今後も互いがフェアな、しかし馴れ合うことのない緊張感のある場として言論が機能することに私なりに寄与できればと思います。
【追記終わり】

6月2日にweb版美術手帖で公開された布施琳太郎氏の論考「最高速度で移動し、喘ぐキメラ──今日の芸術の置かれた状況について」において、私は自身の発言が不適切に引用されているとして、ツイッター上で布施氏に抗議をしました。布施氏はそれについて「文をしたため直します」と言ったのにもかかわらず、その後3週間経った今にいたってもいまだ訂正されておりません。自身の発言が明白な誤解を招く状態で引用されたままで放置されていることは私にとって大きな損失であり、このたびあらためてこのように抗議文を発表することにいたった次第です。

ツイッター上のやりとりについてはまとめを作成したのでそちらを参照していただきたいのですが、あらためて私なりに状況を整理しておきます。

布施氏がキュレーター・出展作家として関わった「惑星ザムザ」という展示を私が批判し、その批判的な文脈のなかで「メディア環境を内面化したキメラ」という文言を使用しました。上記の論考で布施氏は、当該の私のツイートへのリンクを貼るだけでその批判的な文脈に一切言及することなく、「キメラ」という言葉をタイトルに含め、本文でも繰り返し自身の態度を象徴する概念として用いています。前段のやりとりを知らないであろう大半の読者は、私が布施氏を肯定的に評価したのだと勘違いするでしょう。このような誤解はたとえば、「福尾はこの語を批判的な意味で用いたが、私はむしろそれを積極的に引き受けるべきだと考えた」といった簡単な補足がワンセンテンスあれば避けることができるものです。

引用の際には引用元の文脈をねじ曲げないように細心の注意をはらうべきだというのは、アカデミックな領域だけにかかわる話ではなく、恣意的な「切り抜き・切り取り」の問題が指摘されているジャーナリズムや文化全般にかかわる問題であり、それは、リンクが貼ってあるのだからそれを踏まない読者が悪いということには決してするべきではないと私は考えます。なぜなら、そのような態度が横行するとわれわれはあらゆる文章の引用元を読まなければ当の文章を信用できないという、全面的な不信に陥ってしまうからです。

あらゆる解釈は部分的な誤解を含んでいるという、それ自体論駁しようのない抽象的な意見はこのことの反論にはなりません。言葉は思い通りにならないということを、だから私の「間違い」は間違いではないという主張にスライドすることは、結局のところ言葉を自分の思い通りに使うことの自己正当化にしかならないからです。

われわれがあらゆる引用元をあたることなく文章を読むことができているのは、その文章に一定の信頼を置いているからです。この抗議の対象に美術手帖を含めることにしたのは、その信頼を構築することの責任は媒体にもあると考えたからです。布施氏はあくまでこれは自分の問題なのだとおっしゃっておられましたが、訂正が長引くほどに誤解する読者が増えていくわけで、そのことに対処する責任は媒体にもあると私は考えます。

以上が私の意見です。布施氏および美術手帖には早急な訂正を求めます。そしてこの抗議が、今後美術の世界でわれわれがお互いの言葉への信頼を高めていく一助となることを望みます。

『日記〈私家版〉』発売のお知らせ

2021年1月20日、自分でサイトを立ち上げて、それから1年間日記を書いた。それら365日ぶんの日記をまとめ、『日記〈私家版〉』として自主制作で、365部限定で書籍化した。

理由というものがだいたいそういうものであるように、日記を始めたのにも複合的な理由があった。

直前の年末に博士論文を提出して、これからしばらく暇になりそうだなと思ったこと、
ドメインを取ってサーバーを借りてサイトを作ったはいいものの、何か継続的なコンテンツがないと意味がないなと思ったこと、
博論で文字通りにも比喩的にも肩がガチガチに凝り、かといってツイッターは「言うべきこと」で溢れていて、むしろ言うべきことの少なさのために書かれるものが、僕を癒しあわよくば読者を癒すこともあるのではないかと思ったこと、
籠りがちな生活のなかユーチューバーたちが毎日投稿する短いなんということのない動画に、たんにそれが毎日投稿されるということ自体にどこか救いのようなものを感じていたこと、
ゴダールがどこかのインタビューで、若い作家へのアドバイスとしてまずはiPhoneで自分の一日を映画にしてみるといいと言っていたこと。

こうしたぼやっとした動機にそのつどなるべく素直に応えながら、同時にそれを少しずつ分極しながら、日々切れ切れに書いてきた。

ソーシャルでイベントフルな、「密」を避けることでかえってどんどん狭くなっていく世界に吹く、かすかな隙間風に乗って飛んでいってしまうような出来事や断想は、書いても書かなくてもある。しかし書くことでしかその「ある」への信頼を築くことはできない。

(写真:竹久直樹)

購入方法

販売は主にBOOTHの個人ショップで行います。販売者・購入者が互いに住所を知らせることなく配送できるサービスを利用しているので安心してご利用ください。
また、以下の各書店でも販売されております。

取扱店 (在庫状況は各店舗にお問い合わせください)
日記屋 月日 (下北沢)
本屋 B&B (下北沢)
ジュンク堂書店池袋本店
ブックファースト新宿店

仕様

定価:3200円(税込)
365部限定発行、各部にエディション表記付き
本体:B6版、リング製本366ページ(本文用紙のみ、表紙なし)、専用外箱付き

クレジット

発行日:2022年4月1日
著者・発行者:福尾匠
デザイン:八木幣二郎
印刷:藤原印刷株式会社
製本:鈴木製本

私家版制作ノート

最初に考えたのは作るとしてもあんまりたくさん刷りたくないということで、それはそんなに売れないだろうからということもあるし、在庫を抱えるのは嫌だということもあるけど、いちばんは自分の日記が1000人の部屋の本棚にあるのはなんだか気味が悪いなと思ったからだ。だから「私家」版として、ある程度日記の更新を追ってくれていたひとたちに届くくらいがちょうどいいなと思って、365日書いたのもあって365部限定とすることにした。

造本については1ページ1日で機械的に割り振って、かつ、見開きじゃなくて縦に360度めくるリング製本にするというのは早い段階から考えていたことだった。1日がページを跨がずにスパスパと切れていく感じがいいだろうと考えてのことだ。

さらに表紙を付けずに本文用紙だけを綴じることによって、めくっているうちにどこが始まりでどこが終わりなのかわからなくなるようなものにすることにした。そうすると強度が問題になるので、バインダー状に折った厚紙を本体とは別に添える(それが収納時の保護にも読む時の台紙にもなる)ということも考えたのだけど、結局蓋付きの外箱を発注することにした。どっちがいいか難しいところだけど、フラジャイルな本体をカチッとした箱にしまう感じが日記の気安さと私秘性の共存と響きあっていて気に入っている。

デザインは八木幣二郎さんにお願いした。こんな小さな企画を快く引き受けてくれたのも嬉しかったし、ここまで書いてきたような思いつきを具体的なモノとしてまとめるのは大変だったと思う。突飛なアイデアが紙の質感から組版まで統一感のあるデザインになっているのはひとえに彼のおかげだ。

感想・推薦コメントの募集

広告も書店への営業も帯文もなくそれは自主制作である以上そういうものなのですが、tfukuo.com流の販促として、日記読者の方の推薦コメントを募集しようと思います。私家版を手に取った感想でもいいし、まだ買っていない方の本サイトで日記を読んでいて思ったことでもいいです。以下のコメント欄にご記入ください。
掲示板と同じく、本名やSNSのアカウント名など、他の場所で使用している名前は使わずに、本サイト内だけで使う名前で記入してください。


日記更新終了のあいさつ、『日記〈私家版〉』刊行の予告

2021年1月20日から毎日書いていた日記が、丸一年を区切りにして終わりました。誰かが読んでくれているという支えがなければとうてい続かなかったので、何よりまず読んでくれた方々にお礼を申し上げたいです。どうもありがとうございました。また、当サイトの「日記掲示板」で僕の日記に並走するように書かれた、誰とも知らない誰かの日記を読むことも励みになりました。掲示板は書いてくれる人のいるかぎり続けるので、どなたでも気軽に書いてください。

終わってしまったことが思いのほか寂しく、そのことに動揺しているのですが、しばらく考えてまたこのサイトを使って何かしようと思います。とりあえず日記は終わりましたが、このサイトは動かし続けようと思っているので今後もよろしくお願いします。

それと、いま1年分の日記を表記レベルの修正以外はすべてそのままで本にまとめた『日記〈私家版〉』(仮)を制作しています。完全自主制作で、365部限定で今年3月ごろに販売することを予定しています。値段は3000-3500円のあいだになる予定です。

私家版は少部数発行なのもあり、もともと日記を読んでくださっていた方に優先的に行き届くようにしたいと思っております(読むだけならここにすべてありますし)。そこで、まだ値段もデザインも確定していないのですが、それでもほしい、出たら買うという方がもしいらっしゃれば、取り置きを承ろうと思います。本記事下部のGoogleフォームのリンクから申請してください。この取り置きは在庫確保のためのものであり、発売後に別途購入手続きをしていただいたうえで発送作業を行います。したがって本申請は発送の優先順位には関わりません。もちろんいつでも取り置きを解除することも可能です。

取り置きはあくまで発売開始までの幅を取ることで「もともとほしかったのに買えなかった」ということを最小限に抑えるための方策です。365部というのが多いのか少ないのか僕もよくわからず、すぐにぜんぶなくなっても100部余っても不思議ではありません。しかし少なくとも増刷はないので、心配な方は申請してもらえればと思います。

私家版については情報が揃い次第こちらでまたお知らせします。続報をお待ちください。何か問い合わせ等あればtakumi.fukuo@gmail.comまでご連絡ください。

↓取り置き申請フォーム
https://forms.gle/nVVnV9sDsovC8fZR6

追記(2022/04/10)
取り置きの受付は4月20日24時までとします。翌日から4月末までを取り置きしてくれた方のための先行注文期間(発送は4月末以降)とし、5月1日から一般販売を開始する予定です。その後も取り置きは継続しますが、改めて事前にご連絡したうえで5月末で取り置きを解除させていただきます。

追記(2022/04/25)
前回の追記で5月1日発売予定としていたのですが、印刷の工程でミスが発生し刷り直しとなったので2週間ほど発売が遅れます。楽しみにしていただいた方には申し訳ないのですが、今しばらくお待ちいただければと思います。

【お知らせ】『美術手帖』の絵画論と『webちくま』の読書エッセイ

 お知らせも使わなければと思い。サイトを始めた頃は9割以上ツイッターからのアクセスだったけど、最近はブラウザから直接来てくれる人も増えているのでこのサイトだけでまとまった情報が見られるようにしておいたほうがいいだろう。

 ということで最近書いたものがふたつ。ひとつめは『美術手帖』8月号に書いた「ジャンルは何のために?——絵画の場合」という絵画論。千葉正也、ロザリンド・クラウス、本山ゆかりを取り上げて絵画とその外の接面について考えた文章です。出て数週間経つけどまったく評判を聞かない。読んでほしいとしか言えないのが歯痒いですが。

 ふたつめは今日公開されたwebちくまの読書エッセイ。このサイトで書いている日記のスピンオフ的なかたちで滝口悠生の『長い一日』という長編について書いています。支離滅裂とは言わないまでも低徊気味の文章で、こういう成り立ち方もあるのかと書いてみて新鮮でした。記事も小説もぜひ読んでみてください。

 総じて、単発の仕事でちくちくやっていれば何かやっている風になるのも今年いっぱい持つかどうかだなあと思う。去年も博論を書き上げるのに苦労したけど、今年はそれを本にするのに費やされることになるだろう。2年も人に見えないところでひとつのものを仕上げるのは結構大変だ。多作な人を見て焦ったりする。手軽にアテンションを稼げそうな話題がごろごろ転がっている。そういうのを無視して日記を書いていると今度はノンポリでアンニュイな「そういう人」みたいになっているんじゃないかという気もしてくる。まあやるしかないのだ。 JUST DO IT. 馬鹿にできない言葉だ。

『現代思想』について:白江幸司氏への応答

 以下は先日から僕の5月29日の日記に批判を寄せている白江さんへの応答です。彼の意見が「整理」されたものがツイートされたのでそれに応えるかたちで書いています。

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 何よりまず当該の日記は明確に編集方針について述べたものです。それはひとことで言えば研究者ないしもともと現代思想の動向をフォローしている人にしか向けられていない縮小再生産的な方針であり、それを「回覧板」だと言っています。しかし白江さんは、「「ポストモダンって言われたので」みたいな」という寄稿者の態度について述べた点が最も引っかかったようなのでそこから説明します。


 これはたんに、白江さん含め寄稿者の誰もが俗流化した意味での「いわゆるポストモダン(ポモ)」を積極的に擁護するわけではないという、防衛的な身振りから始めていることを指しています。そしてこれについては、学的に完全に正当なものであると思っています。僕でもどこかでそういう予防線を張るでしょう。僕が言っているのは、そうした枠組みのなかでどういう立場が作られてどういう新しい知見がもたらされるかなんて、いったい誰が興味あるんだ?ということです。学者と現代思想フォロワーだけでないでしょうか。だからこそ僕は個別の記事の良し悪しとは別に、特集全体の枠組みとその意義付け(いっそのことマーケティングと言ってしまってもいいですが)は、こうすればそういう人は読むでしょという非常に内向きなものであると思っています。


 繰り返しますが寄稿者が「いわゆるポストモダンとは別に誰々にはこういうポテンシャルがあって」という書き方をするのはいいし、学者的な態度だという以上の感想をもちません。しかしやはりそれは外から見れば「ポストモダン」という厄介なお題目をめぐって何かの義務感に駆られた人が集まり、固有名を持ち寄って小さい差異のゲームをしているようにしか見えないということもまた事実ではないでしょうか。問題はそのゲームを大きく見せる演出が全くなされていないということです。ポストモダンが誤解されて困るのも研究者だけです。これなら思弁的実在論とか人新世とか、とにかくこのトピックは新しいんだとゴリ押しする方がまだ少なくとも野心は感じます。


 商業誌として出している以上、研究者をいかに外に引っ張り出すかということを編集者は考えるべきだと思います(雑誌書籍問わずそういう優れた編集者はたくさんいます)。同時に、専門家が集まればそこで取り交わされる議論は必然的にどこか回覧板的になるし、それ自体はいいことでも悪いことでもなく、そういうものだと思います。研究者としてやりつつ自分で学界の外へのプレゼンテーションも作れる人は事実上稀だと思うので、基本的には編集者がそれを導くべきです。以上が僕の考えです。


 そのうえで先日の議論における白江さんの、福尾は「アンチポリコレ」で日記のリツイートはそういう「シェア体制」になっていて、福尾のサイトこそ回覧板で、日記で実存を売って掲示板でSNSでの共感を集めているといった発言は、まったく日記の内容と関係ないうえに不正確で失礼です。そしてそれを自分は善意で言っているというポーズを取るのはそれが事実かどうかと関わりなくパターナリスティックで不愉快です。

【お知らせふたつ】大和田俊論、『都市科学事典』

「お知らせ」ページも使わなければと思い。こまめに書いてればどういう仕事をしているか遡りやすいし。

ひとつめ。大和田俊の個展「破裂 OK ひろがり」の批評がウェブ版美術手帖に掲載されました。ぜひ読んでください。

ふたつめ。こないだ出た『都市科学事典』(出版社リンク)に「ドゥルーズ゠ガタリにおける都市」という項目を書いています。高い本なので「使う」というひとは買った方がいいと思うけど、そうでなければ近所の図書館にでもリクエストしてみてください。

これも含め近々プロフィールも更新します。今活動一覧しかないし、4月から所属も変わるので。
しかしプロフィールに活動一覧があればお知らせの蓄積も意味ないんだろうか。まあ考えます。

【2月18日】博士論文公聴会のお知らせ

昨年末に提出した博士論文の公聴会がZoomウェビナーで公開されます。

見学希望の方は以下のリンクから詳細を確認のうえお申し込みください。

http://www.ygsc-studio.ynu.ac.jp/2021/01/2021218.html

参加可能人数はかなり多めに取っていただいておりますが、いちおう早めの登録をお勧めします。

なんだか大事になってしまった。緊張する。